ちょっと可哀想だと思う、と前触れもなく言ったのは上越線だった。はて何のことだろう、と信越本線はぐるりと部屋を見渡すが、自分と上越線の他には見当たらず、可哀想なものの見当がつかない。しっかりと5秒空けて、「かわいそう?」と、上越線の言葉を繰り返した。こくり、と上越線は神妙にひとつ頷く。

「北陸上官」
「…可哀想って、」

 何が、と続けるはずだった言葉を、信越本線は飲み込む。何となく理由は思い当たるからだ。
 北陸新幹線が開業して、まもなく半年が過ぎようとしている。元々北陸地方は観光地として魅力的で、その割に交通アクセスが悪いと言われていた。だからこそ、北陸新幹線の開業は待ち望まれていて、それまで上越新幹線と北越急行線を乗り継いで4時間かかっていた東京―金沢間が、二時間半で結ばれるようになり、大盛況だと聞く。
 確かに、大型観光キャンペーンだ何だと開業から仕事続きであることは大変だと思うが、閑散として乗車率が低いよりはずっと喜ばしいことだ。可哀想とは言えない。
 上越線の言いたいことはわかっているが、このまま素直に認めるのも癪で、信越本線は視線を落とす。

「大盛況だって聞いてるし、何も可哀想なことなんてないだろ」

 大人げなく口を尖らせて拗ねる信越本線に、上越線はため息をついた。

「そうじゃなくて。どうせわかってるんだろうけど。そりゃ長野上官時代は可愛かったし、もともとショタコンのお前にとって見た目が重要なのはわかるけどさ、あんま態度変えてやるなよ。変わったとはいえ、別人じゃないんだから、北陸上官が可哀想だ」
「俺が長野上官を愛でていた時にはやめろとか言ってきたくせに何だよ」
「…あれは表現が危険だったからであって。とにかく、敵じゃないんだから、仲良くなれとは言わないけど、もう少し当たりを柔らかくしろよ。上官だぞ」
「わかってるよ!でも、」

 また信越本線は言葉を飲み込んだ。「でも?」上越線が怪訝そうに眉根を寄せるが、この話を続ける気のない信越本線は、「仕事戻る!」と脱ぎ捨ててあったジャケットを引っ掴み、乱暴な仕草で部屋の扉を開けると、そのまま部屋を後にした。





 長閑な田園風景が車窓の奥に広がっている。頬杖をつきながら信越本線は自分の路線がひた走る広大な自然に目を向けていた。長野新幹線開業時に分断され、名称が変わろうとも、沿線風景はそう変わらない。先ほど乗り込んだばかりだと思っていたのに、車内のアナウンスは次の駅で終点だと伝えている。程なくして列車は徐々にスピードを落とし、直江津駅に到着した。
 まばらに降りてゆく乗客に紛れて信越本線はホームに降り立った。まだ真新しいえちごトキめき鉄道の案内表示が太陽の光に照らされている。
 つい半年前までは、ここで北陸本線に引き継がれていたが、北陸新幹線開業に伴い、その名は直江津駅から消えた。

 態度を変えるなと言われたって無理がある。
 北陸新幹線が大人になってしまったからだと周囲は勘繰っているだろうが、何もそれだけではない。むしろ、それは仕方のないことだと思っている。
 ただ、あんなにも本線に似るとは思わなかった。
 どうしたって北陸新幹線と対峙すれば、本選を思い出さずにはいられなくて、急に不安になるのだ。
 今の北陸新幹線の姿が、あまりに北陸本線に似ていることに、どうして誰も戸惑いを覚えないのだろう、と信越本線は不思議でならなかった。
 
 何となく新しくなった元北陸本線のホームには行く気になれなくて、信越本線はすぐ側のベンチに腰を降ろす。経営移管されることなど、自分自身が一番慣れているわけで、今更感傷に浸るわけではないが、妙に気分が重かった。それもこれも上越線のせいだと思うと納得がいかない。
 ふと、影が覆いかぶさる気配がして、信越本線は顔を上げた。
 が、その影は視線の先には既におらず、すとん、と信越本線の隣に誰かが腰を降ろす。

「何にでもトキをつけるところがぶれないよね」

 そこには、かつてこの駅まで乗り入れていた路線の男がいた。

「石川なんてIRいしかわ鉄道だよ?東日本は不思議な名前つけるよね、IGRいわて銀河鉄道とか」
「…富山の名前だって似たようなもんだろ」
「あ、そっか」

 ふわりと隣の男、北陸本線は笑う。その姿は信越本線が知る限り、いつだって変わらない。北越鉄道時代から変わらず、信越本線が未熟だった時分も、この男は既に北陸を代表する鉄路として存在していた。
 新潟の在来線も、関東から伸びている高崎線も歴史は長い。この男よりも過ごした時間は圧倒的に多いのに、どうにも北陸本線は別なのだった。懐かしいといえばいいのか、安心感があるといえばいいのか。
 突然現れた北陸本線に、戸惑う。
 最近は、色々と戸惑ってばかりだ。

「何?変な顔して。あ、さてはまたあの子が大きくなったことを嘆いてるんだろ」
「そっ…れも、あるけど、だから、あーもうどういつもこいつも!」
「わ、何だよもう」

 頭を抱えるような仕草をして突然大きな声を出した信越本線に、北陸本線は少し距離を取る。じと、と腕の合間から視線を投げつけてやるが、特に思い当ることもないのか、北陸本線は首を少し傾げただけだ。

「…何でそんな似てるんだよ」
「は?」
「元々長野新幹線は仮の名称で!暫定開業だったから!北陸新幹線になれば成長することはわかりきってたけど!姿形があんたにそっくりすぎって話!」
「…弟の話?」
「他に誰が!?」

 そら態度も変わるっつーの!信越本線は最後に両の拳を高くつき挙げるようにして叫んだ。そんなことを気にしてたのか、と北陸本線は意外に思いながら、しげしげと隣の男に視線を送る。嫌なことでもあった?と北陸本線が尋ねると、「上越が北陸上官が可哀想だって言うから。俺が態度変えるから」小さな声でそう言った。あからさまに納得していないという態度だった。
 信越本線は、元々子どもの姿をした長野新幹線を他人の視線など憚ることもなく愛でていたような男である。常にゴーイングマイウェイを貫いていて、他人の意見など聞き入れもしない。そんな彼が随分と控えめな発言をしている。北陸本線は、やはりまじまじと彼を見つめないわけにはいかなかった。

「こんな似てる新幹線と並行在来他にいる!?」
「東北は髪型変えれば似てるんじゃ?それに東海道だって似てるだろ」
「東海道は似てるけど何かが決定的に違うだろ!あんたたちはよく似てる、」
「それで?何が納得いかないの?」

 信越本線の言葉を遮るように、北陸本線は投げかける。ぐ、と信越本線は言葉に詰まった。
 全部だ、とでも言えれば良かったのだが、北陸新幹線が開業したことには何の不満もないし、きちんと敬う気持ちもある。自分たちがかつて技術の結晶だったように、高速鉄道は今の鉄道業界の最先端なのだ。そこに嫉妬するほど、もう若くも無い。
 なので、何が納得がいかないのかというと。

「…何で皆そんなあっさり受け入れるんだ。別に俺だって拒否してるわけじゃないけど、なんつーか慣れるまでは前と同じってわけにはいかないし」
「うん?」
「初めて北陸上官を見たとき、あんた、いなくなったのかと思って、いや、いなくなったっていうか、あんたを吸収してああいう風になったのかと思ったっていうか、…びっくりした」

 その信越本線の表情は妙に真剣だった。何を言い出すのかと思えば、また突拍子もない発想だ、と北陸本線は驚きの連続だった。路線が短くなることからその着想を得たんだろうが、何もこういうことは日本の鉄道で初めてではないし、何より信越本線本人が味わっている。
 思わず北陸本線はくすりと笑った。

「俺が現れたかと思った?」
「まーな。でも一緒に挨拶にいった新潟の在来は何とも思ってなかったみてーだし。上越上官もそんな感じだったし」
「そりゃね。長野新幹線も俺もどちらとも懇意にしていた奇特な奴なんて、お前くらいしかいないだろ」

 北陸本線の指摘に、え?と信越本線が間抜けな声を出す。

「俺は元々西日本所属だし。西日本の在来は長野新幹線とは接点ないし。北陸新幹線が開業したって、俺の弟なんだからそんなもんかって感じでしょ」

 すとん、と何かが腑に落ちて、納得した。そんな簡単なことでいいのか、と信越本線は妙にすっきりとした気持ちになる。
 自分が一人北陸本線に執着しているみたいで、北陸本線を妙に特別に思っているような気がして、嫌だったのだ。しかしそれは考えてみれば当たり前で。確かに北陸本線の言う通りなのだった。
 そっかなるほどなるほど!としきりに頷く。

「それに、むしろ良かったじゃん」
「何が?」
「お前、俺の顔好きでしょ」
「…好き、……はあ!?す、きじゃな、」

 い、まで言い切らないうちに、北陸本線の手が伸びてきて、信越本線の口を塞いだ。ずい、と顔を近づけて、うっすらと笑う。

「じゃあ言い換えよう。好きだった、でしょ」

 今は9月で、まだ残暑が厳しい。首都圏ほどではないにしろ、新潟もまだ暑さが残っている。信越本線のトレードマークであるマフラーは、宿舎に置いてきてしまった。北陸本線の左手は、相変わらず信越本線の口を塞いでいるが、す、と右手も伸びてきた。何をされるのかと信越本線が思わず身を固くしたのとほぼ同時に、その右手は首元を撫でていく。

「あんまり強がって、うちの弟のこといじめんなよ」

 言葉の最後は、北陸本線の手の甲にほぼ口づけるような形だったため、聞き取りづらかった。ゆっくりと北陸本線が離れていくが、呪いでもかけられたかのように、信越本線は動けない。
 ははっ、と北陸本線が軽快に笑って、それを合図に信越本線は我に返る。何か言い返したいのに上手い言葉が見つからない。そもそも何に対してどう言い返せばいいのか整理できない。

「ほら、お前もトキめき鉄道さんに呼ばれたんじゃないの。そろそろ行かないと遅刻するよ」
「〜〜〜行きます、けど!あーもう!」

 おいで、とでも言うように、北陸本線が片手を差し出す。随分と遠い昔の姿に重なって見える。そうやって何度も手を引いてもらった記憶が、信越本線にはあるのだ。
 悔しいので今回は手を取ってなんかやらない。
 信越本線は、ずいと横に並び立った。



 諦めよう、と思った。
 仕方ないのだ、慣れるまでにはもう少し時間がかかる。






昔の記憶が褪せるまで、もう少しだけ。




 


とにかく兄←信←弟が好きなのです。

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