およそ人間という生き物は。 目の前で大の字に寝転がるそれが、言葉を発した。声をかけられているのか独り言なのか判断出来なかったが、恐らくは自分に向けられた言葉なのだろうと判断し、副都心線は、「はあ」と自分が考え得る中で最も無関心に聞こえる返事をした。 「およそ人間という生き物は、酒に溺れることでどうにかなるように出来ている」 「なるほど」 副都心線は、どうやら酒に溺れているらしい相手に向かって大きく頷いた。それじゃあ貴方はどうにかならないわけですね。副都心線の言葉に、仕事着のまま床に寝そべる有楽町線が、何でだよ、と不満そうに抗議した。 「だって先輩も僕も人間ではありません」 「外見と機能は人間なんだから同じだろ」 「外見と機能で誤魔化されてますけどね、僕ら人間じゃないんですよ」 副都心線が仕事から自室に戻れば、何故か酔っぱらった有楽町線がベッドの上に寝そべっていた。赤ら顔を上から見下ろすと、案外目は冷静で、どうやら頭は冷えているらしいことがわかり、思わず舌打ちをしそうになる。嗅ぎなれない女性ものの香水の匂いが鼻をくすぐり、そういえば今日はバレンタインデーだったと思い出した。 東京メトロの路線の中で、どういうわけか毎年一番バレンタインデーのチョコレートを入手するのはこの男だった。納得がいかないです、とふくれっ面をした副都心線に、「あいつは優しいし何より丁度良いんだろ」と言ったのは、有楽町線とも副都心線とも直通運転をしている東武東上線だった。丁度良いってなんだ、副都心線は他の路線を思い浮かべた。銀座線ほど近寄りがたくないし、丸ノ内線はお友達カテゴリーに入れられそう、半蔵門線は論外だし、千代田線や日比谷線ほど地味でもない。丁度良い、の意味を理解しそうになって慌てて考えを打ち消した。「そんなのは外野の都合が良いように想像した先輩でしょ」だらしがなくて酒癖も良いとは言えない有楽町線を思い出し、副都心線が口を尖らせると、東上線はきょとんとした表情をした。「何が不満なんだよ。バレンタインデーのチョコを渡す相手としちゃ、別にいいんじゃないか」何もよくない。 「酔ってるフリしたって無駄ですからね、既に結構冷めてるでしょう」 「何だよ、機嫌悪いな」 「…当たり前でしょ、帰ったら酔っ払いが寝そべってるんですよ、まったく納得いきません」 「冷めてるからいいだろ、」 ある程度冷めているとは言え酔っ払いであることには変わりがなく、追い出すのも面倒で、相手をすることを諦めた副都心線が、くるりと背を向けてベッドから離れていこうとした瞬間、力強く片腕を引かれ、予想していなかった力に対抗することは出来ず、そのままベッドになだれ込んだ。ガン!と大きな音がしたのは、肩をサイドテーブルにぶつけたからで、その痛みに肩を抑えて悶えていると、隙ありとばかりに下顎を固定され、「…っ、さい、あくっ…、ふ」簡単に予想できたその後の展開に悪態をついたものの意味はなかった。苦し紛れに悪態をついたことが仇となり、口内にぬるりと入ってきた舌の感覚に目を細める。 アルコールと、香水の匂いがした。 「…っ、とに、…んっ、うぅ、いい加減に、しろ!」 「〜〜〜〜〜〜〜ってえな!噛むなよ!」 「っ、そりゃ噛みますよ!」 口が寂しいならその大量に貰って来たチョコでも食べてればいいじゃないですか!ベッドの側に無造作に置かれている紙袋からは、お上品な包装紙に包まれた箱が覗いている。それを指さして声を荒げると、有楽町線が可笑しそうに笑った。酔っ払いは逐一神経を逆なでしてくるのだから性質が悪い。 「だってお前、俺がアレを食べてたら機嫌悪くなるじゃないか」 「既に悪いから変わりませんよ!」 「一理あるなあ、じゃあ食べるか」 のそりと上体を起き上がらせて、足元に転がる紙袋を伸ばした有楽町線の手を、バシッと叩いて取らせなかった。副都心線は、紙袋をそのまま足蹴にして遠くへとやる。 「食べ物を蹴るなよ」 「どうせ食べる気がない癖に毎年持ってくる先輩にどうこう言われる筋合いはありません」 「お前が食わせてくれないんだろ」 「何で僕が、先輩が他の女から貰ったものを食べる様を眺めなければならないんです?」 「うーん、わかりにくい」 「わかりやすいでしょう」 新線と呼ばれていた頃から一貫して変わらない態度でいる副都心線に対して、変わってしまったのは有楽町線の方だと思うのだけれど、当の本人はアルコールが入っていて今はそういう話題を出すのには適さない。うつ伏せで圧し掛かっている有楽町線を引きはがそうと、副都心線は力を込めたが、そういえば身体の力を抜いた人間もしくは人間と外見の同じ生き物は大層重いのだと思い出した。 どうせ酒に溺れた理由など、一時のちやほやされるだけの人間から向けられた愛情に嫌気がさしたとか、その程度の理由に違いなかった。そうして毎年ここに来るのは、バレンタインのチョコレートなど用意をしていない間柄でも、有楽町線を欲する者がいるのだと確かめたいだけなのだろう。有楽町線に尋ねれば、どうせ否定しか返ってこないので、聞いてみたことはないけれど。 副都心線は、有楽町線を引きはがすのを諦め、背中にぎゅっと腕を回す。 「…銀座さんにお願いして、バレンタイン前後は先輩を休みにしてもらおうかなあ…」 「何だそれ…」 「聞き分けは良い方ですけど、貴方がそういう調子なら、こっちだって面白くないんですよ」 有楽町線が押し黙る。聞いてます?と言っても返事はなかった。 自分からキスしてきたくせに、副都心線が囲うように抱擁しても、それに対する返しはない。いつまで経っても何かから逃げているようだった。それでもいいかと放置しているのは、この人がこうして臆病である限り、多分完全に逃げられることはないだろうと思うからだ。 どうしたって愛を受け取ってはくれない相手に、副都心線はせめてもとばかりに強く強く抱きしめた。 |
貴方はいつまで経ってもそこから動かない。 ダリダリーン!なあの曲がFYだと聞いてそこから考えたというのに相変わらず薄暗い。仕方ない。多分作風です。諦めます。 |