こともあろうに、人の顔を見るなりため息をつき、挙句「まあいっか貴方でも」と言った。
 何も良くない。
 北海道新幹線は終業前に東京駅の執務室に顔を出したことを後悔する。夜20時を過ぎたところで東京駅に到着し、上役に連絡さえすればそのまま宿舎に戻ることも可能だったが、ここのところ北海道の方に詰めっぱなしだったこともあり、身辺整理でもしようかと立ち寄ったのだった。
 扉を開けると部屋の中には一人。
 北陸新幹線。
 まずため息。開口一番、まあいっか貴方でも。

「こちとら微塵も良くないですよ喧嘩売ってんですか」
「そんなつもりないですけど。喧嘩っぱやいのは本線に似たんですかね」
「本線の悪口言うなら容赦しねーぞ」
「後輩の癖にタメ口使うなよ」
「一年だけでしょーが!」
「長野時代入れたらもっとですよ」
「それ言ったら路線として存在してからは遥に僕の方が上です」

 はっ、と鼻で笑い、北海道新幹線はキイキイと耳障りな音のなるパイプ椅子に腰かけた。さて何と言い返してくることやらと北陸新幹線の様子を伺うが、どうやら無視を決め込むことにしたらしい。絡んできたのは向こうだというのに随分と身勝手である。
 北海道新幹線はどうにも北陸新幹線が苦手だった。苦手というよりはいけ好かないとでも言った方が正しい。長野新幹線として暫定開業していたとは言え、大人の形になったのはつい最近のことで、そういう意味では一番北海道新幹線に近しい存在のはずなのだが、どうにも相容れなかった。だからと言ってそれでは他の誰と親密なのかと言われれば、お互い自信をもって名を挙げられる高速鉄道などいないのだけれど。
 北陸新幹線はもう一度これ見よがしにため息をついた。本当に喧嘩を売っているのだろうか。売られた喧嘩は全て買えと函館本線に教えられている。

「ちょっと、言いたいことがあるならはっきり言、」
「何でかなあとは思ってましたけどそういうことなんですかね」

 北海道新幹線の言葉など綺麗さっぱり無視して北陸新幹線はそう言った。

「…貴方、本線が女装しろって言ったらしそうだし」
「…は?」
「立場どっちが上だって感じですけど」
「はあっ?」

 北陸新幹線を人間の男だと仮定すると、容姿には恵まれているほうである。身長があって色素の薄い髪色で顔だって悪いわけではない。男として、勝ち組であることは間違いなかった。その、間違うことなき男の姿をした北陸新幹線の口から、女装。もしや、と北海道新幹線は口元を覆う。

「…本線に女装しろとでも言われたんですか。うわあ」
「私なわけがないでしょう、信越ですよ」
「…?信越が貴方の本線じゃ、…ああ、北陸の方」

 北陸本線と直接関わりがあるわけではないが、函館本線と親交が深く、北海道新幹線も知識としてはよく知っている。
 東海道本線と北陸本線。函館本線と並んで明治に存在した最初の鉄道。
 女装が趣味だとは聞いたことがないし、女装をさせるような輩だとも聞いたことがないが、つまりはそういうことなのだろうか。

「着ます?普通。着ないでしょ。いや必要に迫れたんだとしてももう少し抵抗しません?しないか。貴方しなさそうですもんね」
「さっきから比較的ディスってないですかね僕のこと」
「着ないんですか?」
「着ますけど」

 聞いておきながらも北海道新幹線の間髪空けない返答に、北陸新幹線は若干引いている。けしかけて来たのは彼の方からであって、この場合自分は悪くない、と北海道新幹線は自分に言い聞かせた。本線に女装しろと言われたらやりかねない、と自分を評したのは北陸新幹線が先である。
 本線のためならば割と何でも行動に移せる自信はあった。東海道新幹線に言われれば全力で抵抗するが、函館本線が頼むのならば仕方ない。そういう風に出来ている。それはずっと昔から決まっていたことで、自分が上官という立場であろうと変わらないだろうと思う。
 だから着ると答えた。北陸新幹線の真意などわからない。
 自分と函館本線の間に何かが入り込む余地などない。
 少なくとも北海道新幹線にとっては。
 逆は案外余地ばかりなのかもしれないが、考え始めると鬱になるので考えないことにしている。

「誰かを追いかけている人を追うことほど空しいことはないなと思いました」
「何で?」
「だって私になんて興味がないでしょう。追いかける対象が応えてくれるかどうかなんて、ひたすら誰かを追っている人にとっては関係がないじゃないですか。だからそういう人を追いかけるのは疲れます」
「そんなことないんじゃ?回り込むなりすれば向き合わざるを得ないだろうし」
「…じゃあ聞きますけど。仮に貴方を追いかけている人がいるとして、貴方、本線追うのやめます?」
「やめるわけないじゃないですか」
「そういうことですよ。…適任でした」

 貴方でいいや、って言いましたけど。北陸新幹線は本日3度目のため息をつく。
 立ち上がって北海道新幹線の前を通り過ぎると、身支度を整え始めた。自身のデスク横のボードに「不在」と書かれた札を入れたところを見ると、明日は東京ではなく、どこか別の場所へ向かうのだろう。
 北海道新幹線も明日は早い。早朝から車両センターへ顔を出し、ここへ顔を出すのは夕方以降になりそうだった。だからこそ先に身辺整理をしてしまおうという考えだったのだが、北陸新幹線のよくわからない八つ当たりに巻き込まれているうちに、完全にその気など失せてしまった。
 床に無造作に放り投げてあったリュックを再び背負い、出ていこうとする北陸新幹線の後を追う。何ですか、と彼は少し迷惑そうな顔をしたが、どうせ向かう先は同じではない。廊下に出ればすぐに分かれるのだから気にしないことにする。

「いまいち、よくわかってないですけど」

 北海道新幹線は指さし確認をして戸締りをチェックする。一人で出ていくわけにもいかない北陸新幹線が、倣うように反対側の窓から確認する。全ての確認を終えたところで、駅構内へと続く事務室用扉に北陸新幹線が向かっていると、背中から続きの声がする。

「別に気にせず追いかけたらいいんじゃないですか。空気読んだりする方じゃないでしょうに」
「…空気を読むとか読まないとかの話ではなくて。相手が望まないなら追いかけない方がお互いにとって良いでしょう」

 何言ってんだこいつ、という北海道新幹線の思いが顔に出ていたのだろう。北陸新幹線が嫌そうに眉を寄せた。また何か言い訳じみたことを言い出す前に、先手を打って口を挟む。

「相手の望む形が最善だとは限らないじゃないですか。そんな馬鹿げた考え、正してやればいいんですよ」

 一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったように、ぽかんと北陸新幹線は呆けてみせる。そうして笑いをかみ殺すように俯いて方を震わせ、そうですか、と言った。

「そうですよ、女装がしたいならそう言えばいいじゃないですか」
「…貴方ほんと、そういうところ馬鹿ですよね」
「は!?」

 北陸新幹線が4度目についたため息は、ほとんど笑い声のようだった。

 北海道新幹線はどうにも北陸新幹線が苦手だった。苦手というよりはいけ好かないとでも言った方が正しい。
 けれど、色々と近いような気もしている。悔しいので本人には言わないが。
 国鉄時代に開業した新幹線とは違うのだ。どうしたって何か犠牲が出る。単純に鉄路としても、先人たちの関係性にも。



 人の真似事をしていて泣きたくなるような瞬間があっても、前を向け。
 僕たちに出来ることは、ただそれだけなのだ。




おもかげがなお、あろうとも




 
 けれど自分は、きっとそれを握りしめてこの先も生きていくのだろう、と思うと、確かに泣きたくなった。苦しくなれば、きっとこれにを握りしめて立ち上がる。
 泣くなよ、とあの人が言うから、涙は流さないけれど。





いやほんとあの更新は衝撃だった…赤ずきん…。

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