「罪な男だねえ」 急に冷え込んだ気候に身を縮こまらせながら廊下を足早に歩いていると、後ろからそんな声が聞こえた。東北新幹線が胡乱な眼差しで肩ごしに後ろを見遣れば、マフラー代わりらしいタオルを首に巻いて立つ男がいる。そういえば一週間前に、既に吹雪いた、と愚痴をこぼしていた。防寒対策のつもりだろうが、その姿はどちらかと言えば夏の暑さ対策を思わせた。急な冷え込みに、防寒グッズを用意出来なかったのだろう。それにしても何か滑稽だった。 「何の話だ」 どうせ向かう先は同じだろう、と、東北新幹線は一度止めた足を再び前へ進める。後ろの男も間髪を入れずに動き出したのを気配で感じた。一向に隣に並び立つ様子は見せないけれど。「何の話と言われると、とりあえず一昨日記念日だったあいつの話かな」あいつ、の辺りから聞き取りづらくなった。どうせまた何か食べているに違いない。 「お祝いした?」 「食い物を口に入れたまましゃべるのはどうかと思うぞ。まだだ、朝から会えてないしな」 「…今更なこと言うね。まあそうだよねえ、今日の会議、途中から来て途中で抜けるって言ってたよ。直接お祝いするのは難しいかもね」 とりあえずメールだけ送っといたけど、後で熊鍋セットも送るかなあ、呑気にそんなことを言っているのは、寒さで鼻を赤くした秋田新幹線である。 そうこうしているうちに目的地である執務室に辿り着いた。ノックをしてみたものの、返事はない。先についているはずの男の顔を思い浮かべ、東北新幹線は重い扉を開けて中へ入った。ロの字に並んだ長机が並ぶだけで、誰の姿も見当たらない。ただし、机の上に無造作に書類やノートが散らばっていることを見ると、先ほどまで誰かいたことがうかがえる。所定の位置に東北新幹線が腰を降ろしたところで、ようやく秋田新幹線も部屋の中に入ってくる。暖房の効いた室内の暖かさに喜びながら、首に巻いていたタオルを外している。 「そのタオル、マフラー代わりか?」 「もちろん!首をあっためるだけで違うからねー。これ、肌触りが意外と良くておすすめ。リゾートしらかみ三兄弟タオル!」 「ああ、五能線の。何でまたそんなものを」 「今年の夏、新型車両デビューしたでしょ?それに合わせて三兄弟もちゃんと新型になったんだってさ。タオル貰ったはいいけど使ってなくて。先週の吹雪の時に寒すぎて何かないか探してたらこれがあったから巻いてみたら肌触り抜群」 触る?と差し出すというよりはほぼ投げる形で秋田新幹線がタオルを寄越したが、東北新幹線は一瞥しただけだった。タオルを首に巻いておけば良いと思っているのは東北人共通の考えなのだろうか。雪掻きスタイルが身に染みているのかもしれない。首にタオルを巻いてホームや線路の除雪に勢を出す駅員をよく見かける。 「あれ?山形いないね。先に行くって言ってたのに」 「来てはいるんだろう。そのノート」 東北新幹線が指差した先には、紫色のノートが数冊散らばっている。 「なるほど。いや、でもわかんないよ、もしかしたらあれはエヴァラッピングの500系を表してるのかもしれない」 「わざわざラッピングの方を選ぶ理由がないと思うが」 「そーだよねー、あれはきっと変態仮面ことこまどりちゃんだ」 山形新幹線がいればすぐさま抗議が入るであろう表現を使い、秋田新幹線はノートを押しのけて、東北新幹線の隣へ座る。 本日はJR東日本の新幹線や首都圏の在来線が一同に会し、年末年始輸送について最終確認を行う日であった。もちろん臨時ダイヤ等の輸送会議は既に終了しているが、一ヶ月前の発売日を目前に控え、細かいところを確認する必要があった。在来線の中には、終夜運転を行う線区もある。お盆と並ぶ繁忙期を乗り越えなければならない。 こうした会議に呼ばれると、大抵早く到着するのが秋田・山形新幹線であった。本数が少ないため、会議の開始時間に丁度良く到着できることなど稀である。東北新幹線は、秋田や山形に比べれば本数こそ多いものの、青森や盛岡から来るとなれば、どうしたって速度と乗車時間の短いはやぶさに乗ることが多いため、大抵秋田と一緒になることが多かった。今日もそのパターンだ。 「大分見慣れてきたけどさ、初めてあの紫見たときは衝撃だったよね」 「紫だというのは聞いていたが、福島で見かけた時、何かのラッピング車両かと思った」 「奥羽にじろじろ見られながら走ってきて、福島で君を見てやっと一息つけたって山形言ってのにこの言われよう」 秋田新幹線は、からからと軽快に笑う。そして、少しだけ目を細め、そういうことなんだよ、と東北新幹線の前にずいと人差し指を突き出した。 「…何だ」 「罪な男って話」 「…ああ、さっきも言っていたなそんなこと。だから何の話だ」 秋田新幹線は頬杖をつきながら、東北新幹線の前で人差し指を左右に振る。 「『大宮に行けば君がいる』って、上越が言ってたんでしょう?」 東北・上越新幹線開業の頃の、上越新幹線の言葉だ。しかし、東北新幹線も上越新幹線も、誰彼構わずあのエピソードを吹聴するような男ではなかった。あの頃、秋田新幹線はまだ誕生していない。候補生だったとしても、まだ新幹線組の宿舎に出入りするような立場ではなかったはずだ。何故秋田が知っているのだろう、と訝しんでいると、顔に出ていたのか秋田新幹線がさらりと「羽越が言ってたよ」と言う。夢物語のような羽越新幹線構想があるからなのか、冬の日本海の激しさを共有する仲だからなのか、秋田新幹線と羽越本線は妙に仲が良い。新潟の在来線は上越新幹線がまだ候補生だった頃から、ずっと彼を側で見てきている。あの時誰かが見ていたり、あの状態だった上越新幹線が上越線にあたりに同じことを漏らしていても、不思議ではなかった。 「山形もね、福島まで行けば君がいる、って何度も思ったことがあるそうだよ」 山形新幹線は、福島で東北新幹線と分割・併合を行っている。 そしてそれは、秋田新幹線とて同じだった。 「僕も、盛岡まで行けば君がいる、って思ってるけどね」 東北新幹線は、驚いたように何度か目を瞬いた。 今更だよ、と秋田新幹線はまた笑う。 秋田も山形も、新幹線という名をつけられているが、正確には新幹線ではない。盛岡―秋田間と福島―新庄間は在来線、通称ミニ新幹線区間だ。新幹線のフル規格ではないため、スピードは在来線と同じで、地上に信号機もあれば踏切もある。遅い!と言われることなんてしょっちゅうで、新幹線なんて名前だけじゃないか!と怒る人までいる。 けれど東北新幹線は違う。列記とした新幹線で、はやぶさ・こまちに至っては最高速度も日本最速の320kmを出す。 秋田・山形新幹線の在来線区間は、どうしたって障害が多い。雨や風の規制も受けやすい上に、踏切事故もある。仕方がないことなのだが、東北新幹線と共に走るため、1分でも早い回復を目指す。単独運転になれば、ボトルネックと言われている、上越・北陸新幹線とも線路を共有する東京―大宮間で遅れが波及してしまうのだ。 遅れまいと必死な自分たちのことを、堂々とした佇まいで待ち受けているこの男がいっそ憎い、と秋田新幹線は思う。けれども、待っている彼を目指して、毎日走り続けている。 「冬とか、君に会うために、本当に必死なんだからね」 「わかってるさ、だから盛岡で除雪体勢万全にして待っているだろう」 最早冬の風物詩とも言える、こまち号の雪を落としているため少々停車しております、という盛岡駅で併合後のアナウンス。数分遅れて盛岡を発車するが、大抵大宮までには回復する。秋田新幹線が感心することのうちの一つだ。単線区間の田沢湖線を走る彼の場合、下手すれば朝の遅れをそのまま夜まで引きずることがある。 どんなに売り上げは東海道新幹線がNo,1だと言われても、東北の新幹線勢からしてみれば、一等輝いて見えるのは、今秋田新幹線の隣に座る男なのだ。 上越や北陸はまた別の思いがあるかもしれないが。 けれども、秋田新幹線も山形新幹線も同じ上官という立場だ。乗客から何を言われようとも、東北新幹線と並び立つ者でなければ、在来線に示しがつかない。奥羽本線も田沢湖線も、新幹線開業と同時に、大幅に本数を減らされている。新幹線を最優先に通すためだ。 彼らの気持ちが、痛いほどよくわかる。奥羽本線は寡黙な男で表立って何か言っているところは見たことがないが、きっと言いたいことや思うところがあるだろう。 もう少し色々言っても良いんだよ、と秋田新幹線が奥羽本線に漏らしたことがある。新幹線のせいで何本も運休になったり、途中駅で何時間も足止めを喰らうことなど、冬になればざらにあるのだ。線区併用のため、東北本線や信越本線のように第3セクター化されることはないが、とばっちりにもほどがある。秋田新幹線の言葉に、少し驚いたようだったが、奥羽本線は文句も愚痴も言わなかった。ただ一言だけ、「上官が気にすることじゃありません」と言った。いいから走れ、と言われている気がした。 同じことを、秋田新幹線は東北新幹線に対して思う。同じ新幹線といえども、やはりフル規格の東北新幹線は別格だった。 嫉妬や羨望の対象がいる、というのはある意味で幸せなのかもしれない。そういう意味で、秋田新幹線も山形新幹線も幸せ者だった。東北新幹線という、真っ直ぐに立つ男がいるからだ。15分遅れただけでこまちを置いてはやぶさだけで発車をするし、お前の入る隙などないとばかりに盛岡―秋田間をすぐに運休にしてくるけれど、それでも東北新幹線は遅れ回復のため、一人走り続ける。甚大な被害を被った東日本大震災でも、わずか49日という短さで全線復旧させた。 この男は、東北の背骨なのだ。 人の期待だけではなく、同僚の期待も背負っている。 隣には立てるけれど、同じ道は歩めない。秋田新幹線はそのことに少しだけほっとしている。羨望と嫉妬もあるけれど、何かあったときに言い訳が出来るからだ。だって仕方がない、僕は在来線なんだ。そんな風に。随分と身勝手だよなあ、と、思わなくもないが、事実は事実なのである。 皆が、この男を待っている。 罪な男だが、孤独だと思う。 「完全に興味本位だけど、君が待たせてるやつっているの?」 「…今はもう待ってはいないだろうが、あえて言うなら、」 返事をあまり期待せずに秋田新幹線は尋ねたが、思いの外すぐに東北新幹線は反応してみせた。しかし、一度言葉を飲み込んでしばし逡巡する。思い当らない、というよりは、言っていいものかどうか悩んだのだろう。急かすことなく秋田が黙って待っていると、ふいに重い鉄の扉が開く音がした。ギイイ、と油の足りない音を立てて内側に開いた扉の奥から、ひょいと顔を覗かせたのは高崎線だった。 「お疲れ様です。あれっ、宇都宮まだ来てないですか?」 キョロリと室内を見回して、高崎線は戸惑いの声を挙げた。 「来てないよー。まだ僕らと山形だけかなあ。珍しいね、高崎が早く来るの」 「ちょ、秋田上官、人を遅刻魔みたいに言わないでください!」 「だってSSLに加えて上野・東京ラインが出来てから君、大体遅れてない?」 「遅れてないですー!どんなイメージ!?」 「来ないと思ったらこんなところで油売って何してんのかな」 高崎線の抗議の声に覆いかぶさるようにして、ひやりとした冷たい声が聞こえてくる。ピタリ、と動きを止めた高崎の後ろから現れたのは、高崎とそっくりな容姿をした東北本線こと通称宇都宮線だった。ちらり、と東北新幹線と秋田新幹線の姿を目に留め、一礼する。 「何で僕たちがこんなに早く来る必要があるのか、目的を忘れてるわけじゃないよね?いくらお頭の弱い高崎でもそれくらいわかるよね?」 「…会議資料の…準備当番だからです…」 「おや、わかっているのにまさか会議資料が突然執務室に現れるとでも思ってたのかな?日々技術は進歩してるけど、まさかそんな素晴らしい技術が生まれているとは知らなかったなあ、僕はてっきり印刷室から運ぶのだとばかり思っていたから印刷室でひとり待機していたわけだけど、馬鹿だったなあ」 「ちょっと執務室に寄っただけだろ!?今から行こうとしてたんだよっ」 「ふうん、まあそういうことにしといてあげる。僕が待つのが大嫌いなことくらい、高崎は十分に知っているはずだしねえ。上官方、お騒がせしました。それでは準備してまいりますのでしばしお待ちを」 にこりと微笑んで、宇都宮線は半ば高崎線を引きずるようにして部屋を出て行った。ひらりと片手を挙げてそれに応える東北新幹線を横目に、なるほどと秋田新幹線は納得する。 「あえて言うなら?」 「…あいつだったんだろうな」 日本一の長さを誇る男が待たせていた相手が、元日本一の長さを誇る東北本線とは中々皮肉である。しかし確かにこの男のことを誰よりも厭い、誰よりも待ち続ける羽目になったのは、あの男なのだろう。秋田新幹線は、宇都宮線が消えていった扉の向こうをぼんやりと見つめた。 「まあ、僕も隣に立つくらいはしてあげるからさ」 「…さっきから何の話なのかいまいち見えてないんだが」 「君に期待してるって話だよ」 せめてこの男が孤独にならないよう、隣に立ち続ける。 どんな日も。 |
「期待しなくていいから熊を轢くのやめないか」 「人為的な事故と違ってある意味自然現象だから防ぎようがないもん。四国の在来みたいに鈴でもつける?」 上越上官の大宮に行けば君がいる発言はあまりに有名ですが、秋田や山形にとってもそうだよなあ、と思って書いた話。山形上官は山形弁がわからないので出ません。 |