揺れる二両編成の列車は、ボックスタイプの座席だった。大の大人が向い合せで座るには少し窮屈な古い車両で、膝を突き合わせるのは何となく気まずく、人がまばらなのを良いことに、お互いがボックスシートをひとつずつ占拠している。 視界の奥でうつらうつらと舟を漕ぐ男は、見慣れた制服ではなく、グレーのカットソーに黒のカーディガン、色の薄いジーパンというラフな格好だ。 対照的な格好をした2人だった。眠そうに頭を揺らす男とはまるで異なり、ワイシャツにスラックスという、誰が見ても勤務中のサラリーマンのような格好で、高崎線は列車に揺られていた。気が付けば、もう結構な距離を乗車している。高崎駅から上越線に乗り込んだことは確かだが、その後に言われるがままに乗り継いだりしていて、結局自分たちがどこへ向かうのかいまいちわかっていない。仮にどこかに泊まることになるとして、幸いと言えば良いのか旅支度は整っていた。仕事用にしては大きなカバンの中には、昨日からの泊まり勤務用の歯ブラシやらタオルやらが一揃い入っているのだ。ただ、私服は持ち合わせていなかったため、途中で買うしかないか、と諦めている。 ワンマン列車の自動放送が、次駅の乗り換え案内を始める。目的地をよく聞いていなかったけれど、確かここで降りると言っていたはずだ。 「信越、着いたぞ」 高崎線が手を伸ばして眠る男の身体を揺すると、くぐもった声で返事が聞こえた。着いた?と問うてくるその男に「ここで降りるんじゃなかったっけ」と滑り込んだホームの上に現れた駅名標を指す。「・・・・あっ!降りないと!」一気に目を覚ましたらしい信越本線は、寝起きとは思えないほどの俊敏な動きで、高崎線を置いて軽やかに列車から降りてしまう。高崎線は慌ててその後を追った。 降り立ったホームは、まだまだ夏を色濃く残している。響き渡る蝉の声が空間を支配しているようだ。ショルダーバックをホーム上のアスファルトへ乱暴に放り投げ、信越本線は拳を空へ突き出すように、伸びをした。高崎線もそれに倣い、揃って深呼吸をする。気温は随分と高かったが、それでも気持ちが良いのは、この駅が山の中にあるからなのだろう。 「夏、まだあって良かったな」 高崎線が思い出したように言うと、信越本線は動きを止めて何度か瞬いた。そうして少しだけ笑ってみせて、そうだな、と同意する。少し綺麗な笑顔のまま、信越本線はホームへ放り投げていた鞄を手に取ると、それじゃあ行くか、と跨線橋へ足を踏み出す。が、行かせてたまるかとばかりに、高崎線はそんな信越本線の肩を力いっぱい掴んで止めた。「そうだな、じゃなくて!!」反動で信越本線の肩からずり落ちたショルダーを咄嗟に受け止めながら、高崎線は言った。 「何の目的で一体どこに向かうんだよ!?」 「ここまでついてきておいて、今更?」 「いやちょっと遠出くらいかと思うじゃん!いや日帰りじゃないなっていうのは途中で察したけど、せめて目的地と期間くらい言って貰わないと、」 「東北が心配する?」 高崎線の言葉を遮るように、信越本線が言った。図星だったわけではないけれど、てんで間違いだったわけでもなくて、高崎線は思わず言葉に詰まる。それを信越本線は見逃さなかった。心配しなくても次の勤務までには解放するよ。そう言い残して今度こそ跨線橋へ消えた。何を隠そう、高崎線は遅めの夏休みを申請していて、明日から一週間休みなのである。特に予定を入れていたわけではないものの、七日間丸々付き合わされるのだろうか、とため息をつくも、信越本線の真意などわかるはずもなかった。 「夏が終わる前にさあ、」 と、前触れもなく信越本線が、高崎線の前に現れたのは、ほんの数時間前のことだった。おだやかでトラブルもなく、無事一勤務を終えた高崎線が、高崎駅の執務室で最後の引継ぎ事項を記入していた時である。信越本線も泊まり勤務だったのか、制服に身を包んでいた。どうやら既に退勤していたようで、氷菓子をガリガリと頬張りながら、高崎線が執務用ノートを埋めていくのを眺めている。はあ、高崎線は生返事を返したが、そんなことは大した問題ではないらしい。信越本線は変わらぬ調子で言葉を続けた。 「行きたいところがあんだけど」 「・・・・信越が夏に求めてるものって、幼児の水着姿とかしか思い浮かばねーけど」 「どうしてすぐそういうこと言うの!へんたい!子どもの水着姿ならいつも見れる駅間があるから堪能してるわ!」 「変態はお前だね通報しておくわ」 「大体そういう楽しみはひとりじめしたい派なんでわざわざお前ごときに声かけたりしねーっつの」 「じゃあどこに」 疑心暗鬼で問う高崎線に、信越本線は一拍空けて、ついてきて欲しいんだよな、と言った。 「直江津ちゃんが一区と行ったところに」 あの時うっかり同意してしまったのは、もう随分と聞くことのなくなっていた名前で呼ばれたせいだと高崎線は分析した。そうでなければ信越本線と、行先も目的もわからない旅へ繰り出すはずがない。 高崎線の思いなどつゆも汲み取らず、跨線橋を渡り終えて既に反対側のホームに辿り着いている信越本線が、「乗り換え1時間あくから、一旦外出ようぜ」と改札口を指さした。はあ、とまた溜息をついて、しかし今の高崎線にはそれに同意するほかなかった。 改札口を出ると、山間に住宅がぽつぽつと見えた。出来れば着替えを手に入れたい高崎線だったが、どうにも服が売っていそうな店らしきものは見当たらない。ひなびた喫茶店のドアノブに、営業中、の文字を見つけて、2人はどちらからともなく足を向けていた。カラン、と昔ながらの鉄のドアベルの音が鳴る。いらっしゃい、と顔を上げた店主は、見慣れない顔に少し驚いたようだったが、人の良い笑みで奥の席を案内してくれた。 席に着いてメニュー表に連なるどこか懐かしいラインナップを眺め、結局2人共看板メニューだというハヤシライスを注文した。窓の外では夏の暑さを残した日差しが風景を焼いている。無言で迫りくるように連なる山々の景色を見ていた高崎線が、ふいに店内へと視線を戻した。「なあ、」向かい側で時刻表を睨んでいる信越本線に声をかける。 「なんつーか記憶なんてもん、百年以上経つと色々と曖昧になるけどさ。俺、ここに来たことあるような気がする」 「ふーん。こんなところまで?何しに?」 「いや、全然覚えてねーけど」 「覚えてないなら来てないのかもよ」 「う…、そうだけどさ、何となくそんな気がするんだよなー。勘違いかな」 「老化現象?」 「うっせーよ!信越だって百年前のこと、忘れてるもんも多いだろ!」 何も言い返せまいと返した言葉だったが、高崎線の予想を裏切って信越本線がさらりと告げる。 俺は覚えてるよ、と。 嘘つけ、と咄嗟に高崎線は言い返したものの、言われてみれば案外記憶力は良い方だったな、と思い出す。路線の化身である以上、人間よりは記憶力に優れているものが多いけれど、その中でも信越本線は記憶力が良い方だった。行動を共にすることが多い東北本線―――宇都宮線も相当な記憶力を誇るが、並ぶのではないだろうか。高崎線の体感だけれども。 「都合良いように出来てるからさ、忘れたいことは忘れるけど」 「大人の顔とか?」 「そうだな、高崎の顔とか」 「おい」 信越本線が軽快に笑ったところで、店主がハヤシライスを2つ載せたお盆を手にやってきた。祖父の代からの自慢のメニューだというそれは、確かに食欲をそそる香りと見た目をしている。店主が二人の関係を問うた。高崎線がどう答えたものか迷っていると、幼馴染です、と信越本線が言った。それはいいね、と店主が笑って、しかしちぐはぐだ、と信越本線と高崎線を交互に見遣る。スーツ姿の高崎線は、仕事終わりに強制的に連れて来られたのだとも言えず、笑って誤魔化した。あまりにも長閑すぎる田舎の喫茶店に、不釣り合いなのはどちらかと言われれば、答えは聞くまでもなく明白だった。 「じゃ、冷めないうちに食べてください。味には自信がありますから」 「ありがとうございます」 二人揃って手を合わせ、年季の入ったシルバーのスプーンへ手を伸ばすが、一度去っていこうとしたはずの店主が動かないのを訝しみ、どちらからともなく顔を上げる。店主は考え込むように顎へ手をあて、じっと信越本線の顔を見つめていた。微かに信越本線の顔が曇る。大人に興味がないと豪語する彼が、店主の視線に嫌気が指すのは時間の問題だった。 高崎線が店主の視線を彼から剥ぐように、一口食べたハヤシライスを大げさに褒めてみせると、我に返ったのか、店主はぎこちない動きで高崎線へと視線を移した。ほっ、としたのも束の間、今度は高崎線の顔をじっと眺めている。さすがに居心地も悪くなり、高崎線が早々に音を上げた。 「…あの、俺らの顔に、何かついてます?」 「見てたって何も面白くないでしょーが」 続いた信越本線の言葉には棘がある。黙れという意を込めて高崎線がテーブルの下で信越本線の革靴を踏みつけると、狙い通り静かになった。 「あ、いや、すまないね。どこかで見たような気がしたから」 「…ふうん、似たような顔がたくさんいるってことですかねえ」 「いや、そういう、鮮明なものではなくて、…ああ、うん、わかった。後で持ってこよう。まずはお食事をどうぞ」 持ってくる?高崎線の疑問は、さっと踵を返してキッチンカウンターへ帰っていった店主の背中には届かなかった。 濃厚な香りのするハヤシライスをゆっくりと口へ運ぶ。こういう少し鄙びた喫茶店には、必ずと言って良いほどひとつくらいは看板メニューがって、どうしてかそれが中々に美味いことが多い。このハヤシライスも時間をかけてじっくりと煮込まれたのだろう。どこか懐かしい味のような気がした。 「さっきのさあ、持ってくるって何だろうな?」 店主の言葉に特に思い当たることもなく、高崎線がぼやくと、信越本線が当たり前のように「写真だろ」と言った。は?思わず高崎線から零れ落ちた言葉に、信越本線は皿に残ったハヤシライスの最後のひとすくいを口へ運んでから、くい、と親指で自身の後ろの辺りを指さす。その動作につられるように高崎線は視線を移動させるも、その先にあるのは曇ったすりガラスだけで、何もヒントにはならない。 「さっき、来たことある気がするってお前言っただろ。来てたよ。東海道と、東北と三人で。もう随分と前に」 記憶が曖昧みたいだったからさっきは適当なこと言ったけどな、そう言う信越本線は、ちらりとすりガラスのはめ込まれた窓を見遣る。 「…まじで?何しに?」 「せがんだからかな」 「…誰が何を?」 「お前本当に何も覚えてねえの?」 う、と高崎線は言葉を詰まらせた。一体いつの頃に何の目的で来たのか思い出せない。東海道本線と宇都宮線との記憶はあまりにたくさんありすぎて、細部が曖昧になりかけているのだ。出かけた記憶なら五万とあるが、それが一体どこに何の目的で出かけたものなのか、中々結びつかない。記憶の引き出しをひっきりなしに開けていると、はた、と気が付いた。ここに来たことを知っているのならば、信越本線もいたのかもしれない。そうなるとある程度は絞られて来る。記憶の糸をひたすら手繰り寄せていくと、朧ながらひとつの箱が開いた。 「…相当前じゃないか?」 「お?思い出したか?」 「いや…、あんま、自信ねえけど…、北陸がいたような気がするんだけど」 「いたねえ」 「えー?あれって、東海道が急に、繋がる先を見ておけとか言いだしてお前に乗りに行ったんだと思ってたんだけど、違ったのか?」 「あー、そういうことになってんのか。東海道って変に優しいよなあ」 「そういうことって、」 どういう意味だと高崎線が問うよりも先に、ふらりと店主が現れた。お口に合いましたか?と柔和な笑みで尋ねられると、会話も中断せざるを得ない。絶品だった!と高崎線が声高らかに言うと、大層嬉しそうに笑顔が深くなる。高崎線の答えに満足したのか、店主は何度か頷いて、それからエプロンのポケットから一枚の写真を取り出した。大分古ぼけたそれはモノクロ写真で、縁が白く象られている。一人の青年が、年の頃は十四、五歳の少年三人と並んで緊張した面持ちで写っていた。 紛れもなく、高崎線と東北本線、それに信越本線だった。 「似ていたので、さっきはつい見てしまったんです。失礼しました。見ただけではわからないかもしれないですけれど、ご親戚とかですかねえ」 「ははは…、そう、かも、しれないっすねえ。…これ、いつ頃の写真かわかります?」 「さあ…、正確には…、祖父がずっと大事にしていたらしくて、どうにも捨てられなかったんですよね。後ろに日付とかは特に書いていなくて…、多分大正くらいだとは思いますが」 ぺらりと裏返されたそこには、未来の象徴、とだけ記されていた。 昔は今よりも路線として表に出ることも多かったので、正体を知っていたのかもしれなかった。その上で、未来と称してくれたのだとすれば、何とも有難い話である。 写真をよくよく見れば、窓を背にして立っているようだった。信越本線が先ほど指さした窓だった。なるほど、と高崎線は思わず呟いた。よく覚えている。 「そこの少年もハヤシライスを食べたんですかね」 信越本線がにこりと笑う。この頃からハヤシライスがあったのかはわかりませんが、と店主は前置きしていから、でもきっとそうでしょう、と言った。ハヤシライスを食べた記憶は、高崎線にはなかったが、言われればそうだったような気もしてきて、そっと記憶を塗り替えておく。 「そろそろ行かないと」 信越本線が時計を見上げて言った。下り列車まではまだ時間が少しある。駅を出て見渡した限り、他に寄れそうなところは見当たらなかったが、何かあるのだろうか。 すっかり氷の解けたアイスコーヒーを、高崎線が勢いよく飲み干していると、店主がゆったりとした口調で言う。 「ああ、上りですか?今日は天気も良いので特に遅れたりもしていないでしょうし、丁度良いかもしれませんね」 地方のローカル線は本数が少ないため、何となく発車時間を把握している人も多いが、ここの店主もそうなのだろう。「そうですね」と頷いた信越本線に、訂正はしないのか、と思いつつ、高崎線は席を立ちあがる。折角だからカメラをお持ちだったらどうですか、と窓ガラスの辺りを示されたが、生憎とどちらもカメラを持ち歩くような性格ではなかった。苦笑しつつ断ると、店主は少し残念そうな顔をした。 カラン、ドアを開けると入った時と同じように鉄のドアベルの音が響く。燦燦と山肌とアスファルトを焼く太陽の日差しが目に痛い。 もう随分と前にも訪れたという店を、名残惜しくも後にした。 店を出た信越本線が向かった先は、小さな商店だった。何を買うのかと思えば手に取ったのはTシャツで、どうやら高崎線の替えのシャツらしい。これから行く先でシャツの替えを買えるような場所がないのだろうかと多少不安になるが、真夏の照りつける太陽にはYシャツの素材はどうにも不向きで、結局汗の不快感には勝てずに購入する。さすがに何の前触れもなく突然旅に連れ出したことを多少なりとも申し訳なく思っているのか、お代は信越本線持ちとなった。常に財布事情を気にしている高崎線としては有難い。 戻った駅の待合室で真新しい綿のTシャツに袖を通すと、幾分か呼吸がしやすくなったような気がした。ベンチに腰掛けながら時刻表を睨んでいる信越本線に、どこに行くのかくらい教えろよ、と何度目かのお願いをする。高崎線の声に反応して振り向いた信越本線は、にやりと笑った。 「さっきのが盛大なヒントなんだけどな」 「さっき…って、店のじーさんが見せてくれた写真か?」 高崎線が半信半疑で尋ねれば、信越本線は大きく頷く。そしてそれ以上説明をする気がないのか、再び時刻表へ視線を落としてしまった。 暇つぶし道具を持ってきているわけでもない高崎線は、手持無沙汰になり、仕方なく先ほどの写真から行き先の推理をすることに決めた。 写真の中の高崎線自身は、まだ少しあどけなさの残る顔をしていた。人間とは違う速度で容姿が成長する自分たちは、容姿から時を遡るのが案外難しい。特に明治から昭和初期に誕生した路線たちは、何を以てして一人前になったと判断されるのか、よくわからなかった。 けれど、未熟な部分を残していた時分だ、ということは読み取れる。写真の中の三人は制服に身を包んでいた。仕事中に来たのだろうか。 「山と海どっちがいい?」 行き先を推理する高崎線に、信越本線がそんなこと聞いた。 「決まってないのかよ」 「いや、5択くらいまでは絞ってて」 「多っ!…えー、山かな」 「その心は?」 「群馬は海なし県だから、海まで行ったら遠ざかるだろ」 「そこで素直に答えるところがお前の愚かなところだよなあ。東北だったら今の答えで海にしちゃうぞ」 「お前はあいつじゃないじゃん」 「…なるほど」 それならば山にしてやろう、信越本線が独り言のように呟くと、まるで行き先を決めるのを待っていたかのように、ホームに列車が滑り込んできた。 乗り込んだ列車をさらに乗り継ぎ、どこかで別の線へ乗り換え、さらに乗り継ぐ。そういうことを繰り返して、とにかく車内では爆睡をしていたら、いつの間にか目的地に到着した。正しくは、信越本線に揺り起こされて降りた終着駅で、ここが目的だったのだと気づく。時刻は時計を見なければわからないが、空の色はとっくに闇に染まっていた。随分と長旅だった。 はずなのに、駅名表は高崎からそれほど離れていない場所を示している。 「…長野じゃん」 「そうだね」 「いやー、あのさ、確かにさ、俺明けだったから眠かったし記憶が若干怪しいけどさ、高崎から上越に乗らなかったか?」 「乗ったね」 「…いやお前で良かったじゃん!」 大声で突っ込んだ高崎の言葉は、あははという笑い声で無かったことにされる。どういうルートでここまで来たのか最早興味の範疇外だが、わざわざ遠回りをした理由が高崎線にはまったく思い浮かばなかった。 線路を挟んで向かい側のホームには、高崎まで戻ることの出来る特急列車が止まっている。いっそあれに乗り込んでやろうかと思ったが、信越本線が何も告げずに階段を上り始めたので、高崎線も引きずられるようにそのまま改札口へ向かった。改札で慌ただしく働く若い駅員に挨拶をして通り過ぎようとすると、奥の方で暇そうに客を眺めていたベテランの駅員が、高崎線の顔を見て、何かを思い出したようにぱっと椅子から立ち上がった。用事だろうか、と思いつつも、声をかけられたわけでもなかったため、そのまま改札外へ出る。数メートル先で高崎線を待つ信越本線の元へ急いでいると、急に駅事務室の扉が開いて、ベテランの男が顔を出した。 「高崎さん」 やはり自分に用があったのか、と高崎線は立ち止まる。 「東北さん…、あ、在来線の東北さんから、伝言預かってます。明日の集合時間10時に変更だそうです」 宇都宮線という愛称がついてから少し経つが、長野駅の駅員にとっては東北本線のままらしい。在来線の、とつけたのは、新幹線と区別をするためなのだろう。JRの社員にとっては上司に当たらないため、気軽にどちらも東北さんと呼んでいるのかもしれなかった。 告げられた伝言内容に、高崎は一瞬呆けてしまう。 「明日?え、何か予定あったっけ…?」 ざっと記憶を思い返してみるが、何かを宇都宮線と約束した覚えはない。 「上越だな」 高崎線が記憶を巡らせていると、ひょいと信越本線が顔を出した。上越?と高崎線が繰り返すよりも早く、さっさと駅事務室へ入ってしまう。自分のテリトリー内である長野駅は勝手知ったるというところなのだろう。駅員が慌てて後を追った。 高崎線も続いて事務室内に足を踏み入れると、信越本線の姿を認めた駅員が次々と立ち上がる。今日来る予定でしたっけ?当直らしき男が少し焦ったように信越本線に近づいた。仕事ではないので気を使わないでほしいという旨のことを伝えながら、信越本線は机上に置かれた電話機を指さす。借りたいんだけど電話帳あります?信越本線がそう言いながらぐるりと事務室内を見渡すと、壁際にいた新入社員と思しき若い駅員が、緊張した様子で社内用の電話帳を差し出した。信越本線に礼を言われてどこか嬉しそうに戻っていく。 そういう立場だったな、と高崎線はどこか他人ごとのようにその様子を眺めていた。数人が高崎線の周りにも集まってきて、椅子をすすめられたが、どうせ長居はしないだろうと丁重に断り、信越本線の元へ向かう。先ほど高崎線に伝言した駅員も、何となく後ろに続いていた。上越って何ですかね、と彼は不思議そうである。 「あ、お疲れ様です信越です。上越います?…いない?この時間はそちらにいるはずなんですよねえ、信越が切れてるって伝えて貰っていいんでとりあえず出してもらえます?」 声のトーンはあくまで大人しいが、内容は大分不穏な空気を漂わせている。高崎線はついてきた駅員と顔を見合わせた。 「おいこら上越てめえふざけてんじゃねえぞ東北にチクりやがったな」 トーンダウンしてどすの効いた声が響く。事務室内にいた半分くらいの駅員が驚いて信越本線の方を振り返った。それもそのはずで、普段の信越本線はそんな声を出して駅員と接することはないのだろう。高崎線もそうだが、路線の化身と社員は同僚でもなければ上下関係があるわけでもない。高崎線は比較的親密に彼らと接している方ではあるが、先ほどの駅事務室に入室した際の反応を見ていると、案外信越本線は線引きをしているのかもしれなかった。そんな彼が、電話口の相手にどうやら怒っている。駅員たちは興味津々のようだった。 「うるせーな別に非番に俺が誰とどこに行こうが自由だろ。東北にも伝えとけよ、お前は高崎のおかんかよ、って。っつーかお前は一体何で買収されてんのよ。酒だったら後で飲ませろよ?…いやわけのわかんない伝言が高崎あてにあってさ、むかつくからさっきの東北に伝えといて。…え?なに、あ、ちょっと上越待てよ!」 どうやらさっさと電話を切られたようだった。耳から話した受話器を恨めしそうにひと睨みし、直ぐにまたどこか別の場所へかけ直す。 「…もしもし、奥羽か?どうも信越だけど。今日さ、東北そっちに泊まりだろ?うるせーバーカって伝えといて。…いいから!じゃ、頼んだぞ!」 ガチャン、と音を立てて電話を切った信越本線の顔は少しだけ晴れていたが、電話口の奥羽本線を思うと、高崎線は憐れまずにはいられなかった。側で聞いていた当直が、遠慮がちに信越本線へ声をかける。何かありました?と問われた本人は、にこりと営業スマイルを張り付けて、「大人気ないところを見られてしまいましたね。申し訳ありません、お邪魔しました」と爽やかに言った。これ以上言及したところで答えないつもりであることは明白である。はあ、と煮え切らない返事をしつつも首は突っ込まない方が良いと判断したのか、当直は壁際で物珍しそうに眺めている若い男とを呼び寄せると、飲み物を用意するよう指示をする。 「あ、いや結構です、本当にこれで用は終わりましたから。もう行きます。お邪魔して申し訳ありませんでした」 電話を借りた礼を述べ、信越本線が優雅に事務室内を横切り、外へ続く扉へ向かっていく。高崎線もそれに倣うようにすれ違う駅員にお辞儀をしながら、さっさと扉を開けて出ていった信越本線の後を追った。 「っておい信越、説明しろよ」 肩を掴んで振り向かせると、心底呆れたとでもいうように、信越本線がこれ見よがしにため息をついてみせた。曰く、説明なんかしなくてもわかってるだろ、と。 「上越使うんじゃなかった、東北とそんなに接点ないからチクられるとは思わなかったんだよなあ。高崎お前さ、逐一東北にお前の動向報告してんの?」 「んなわけねーだろ。お前があいつの機嫌損ねるようなことするからじゃねえ?」 「えー、やっぱわざわざ東北が関東にいない日を狙って高崎を連れ出したことバレてんのかな」 「だろうとは思ったけど。わざわざ俺の勤務もあいつの勤務も調べるくらいなら、前もって連絡くらい寄こせよ。…あと、東北じゃなくて宇都宮な」 「ただの愛称だろ。まあ、こだわりそうなのは案外お前だとは思ってたけどさあ。…宇都宮様は別に返事しなくたっていいだろ。どうせお前を勝手に連れ出した俺への嫌がらせだろうし。とは言え、だ」 信越本線は、ずい、とさらに一歩詰め寄ると、ほんの少し高崎線を見上げた。元々一筋縄ではいかないタイプとは言え、面倒な男だ、と高崎線はその男を見下げる。 「どうでもいい嘘だとわかっていても、お前が帰るなら俺は止めない」 どうする?と可愛くもない大人の形をした信越本線が首を傾げる。普段であれば一発殴ってやるところだが、今日一日不可解な行動と言動の多かった信越本線の頭を殴ろうものなら、より使い物にならなくなるのではないかと思い、結局高崎線が折れる羽目になった。 一泊だけだからな、という条件を示して。 駅の近くの定食屋で適当に夕食を済ませて、今晩寝泊まりするホテルのチェックインを済ませる。飲み足りなければ外へ繰り出すか、と高崎線は提案したが、意外にも信越本線からの答えはノーだった。ざるを通り越して枠だと言われる新潟組に属する信越本線が、飲まないなどと言う選択肢を取ることがあろうか!と驚愕の表情を見せた高崎線だったが、「勘違いしてる気ィすっから言っとくけど部屋で飲むぞ」とさして大きくは見えない鞄から一升瓶を取り出した。それを持ち歩いていたのだと思うと最早尊敬の域に値する。 烏の行水並みの早さでお互いにシャワーを済ませ、買い出しじゃんけんに負けた高崎線が、ホテルの売店でつまみ類をいくつか買い込んで部屋へと戻ると、信越本線の姿が見当たらなかった。部屋を見渡せば、一升瓶が消えている。あんなものを持って一体どこへ、と高崎線は逡巡していたが、視界の端でカーテンがゆらりとはためいたのを捉えた。窓が開いているらしい。ジャッ、と勢いよくカーテンを引くと、そこはバルコニーになっていた。ビジネスホテルのツインにしてはゆったりとした部屋で、加えてこんなオプションもあったらしい。キャンプ場や夏の日の海辺で見かけるようなプラスチック製の白い椅子に腰かけた信越本線が、お先に失礼とばかりに透明な液体の揺れるグラスを傾けて見せた。恐らくは水ではなく日本酒が注がれていると予想できる。 「…五分かそこらだろ…待てないのかよこのアル中」 「正確には六分四十五秒。酒を目の前にそんなに待てるとでも?それから俺は別に酒に呑まれたりはしないんで、アル中呼ばわりされる筋合いはないですう。はい高崎くんもどうぞ、お遣いご苦労」 「労われてる気がしねえな、つまみやんねーぞ!?」 はいかんぱーい!無理矢理グラスを渡されて、着席もそこそこにカチンとガラスがぶつかる音が響く。 「何が目的だったわけ」 アルコールの回る前に片をつけてしまおう、という高崎線の目論見の根底には、どうせ先に潰れるのは自分の方だという自覚があるからだった。いそいそと高崎線が購入してきたつまみを漁っていた信越本線は、あからさまに不機嫌になる。そんな顔をされたところで、高崎線はこの話題を止めてやる気など毛頭なかった。朝からわけもわからないままはぐらかされてきたのだ。そろそろ聞く権利があると思っている。 高崎線が食い下がらないことに気づいたのだろう。信越本線は行儀悪く帆立の貝紐を加えたまま、どこから話したものか、と腕組みをした。本音を中々話さない輩の相手なら、高崎線にとっては日常茶飯事だ。上手く引き出せるかどうかは別として、気が済むまで付き合うくらいのことは出来る。あー、うー、と意味のない音を発する信越本線を、しばらく放置しながら一人酒を煽っていると、観念したのか突然気合を入れるように「よし!」と拳を握りしめた。 「間もなく俺は廃線になるんですけど」 「うわっ重っ!!っつか廃線っていうなよ一部区間廃線って言えよ縁起でもねえだろ!!」 話の切り口としては、高崎線が考えていた最も重苦しいものだった。どうせその関係だろうとは踏んでいたが、まさか最初からアクセルを全開で来るとは思いもよらず、反射で突っ込みを入れてしまう。 長野オリンピックに向けて、間もなく長野新幹線が開業する。そうなれば難所と言われた碓氷峠越えの横川駅から軽井沢駅間が廃線となり、高崎方面から長野へ向かう列車は新幹線のみとなる。廃線となることについては、もう折り合いもついているのだろうが、やはり近づくとセンチメンタルになるものなのだろうか、と高崎線は月明りを借りて信越本線の横顔を盗み見るが、それだけでは彼の感情など読み取れるはずもない。 「いやまあそれについてお前に愚痴聞いてほしいわけじゃないし、そりゃ多少の喪失感みたいなものはあるけど、肩の荷が下りるなっていう思いも正直あるし、一世紀も走り続けたんだからそろそろお役御免でもまあいいか、やり切ったっちゃあやり切ったな、っていう気持ちもあるから、それはまあ今更ぐちぐち言うつもりはないんだけど」 比較的弁が立つ信越本線にしては歯切れが悪い言葉選びだった。話の終着点が見えない状況では、うん、と相槌を打つくらいしかやることがない。 「一応は新潟で一番古株だから、他の奴らを連れていくのも何かなあ、っていうなけなしのプライドなのかただの恐怖心なのかはわかんないけどそういうのはあったりして、だから高崎でも連れていくかって思ったんだけど」 「…廃止後、新幹線を使わずに長野入りする方法を試しに?」 「変なところで察し良いよなお前」 「いやそんだけヒント出していて察し良いも何もあるかよ…。写真がヒント、ってまさか裏面の未来ってやつじゃないだろうな」 ははっご名答、と乾いた笑いを響かせて、信越本線はぐびりとコップに残る日本酒を飲み干した。 遠いな、と。 びっくりするほど遠い、と。 呟いた信越本線は、しかしどこか愉快そうで。高崎線にも、その理由が何となくわかる気がした。 東と西の都を繋ぐはずだった最初の構想―――中山道幹線計画は、様々な要因が絡み合って無くなった。否、結局は北陸本線等を経由して繋がったけれど、大動脈は東海道本線が担うことになった。 東海道本線は日本で最初の鉄道で、今や全国に存在する、それだけではなく消えていった者たちも含めて、全ての鉄道の始祖とも言える。関係がないと笑う私鉄もいるけれど、最初の鉄道があの男だったことは紛れもない事実である。だからこそ大動脈に相応しいし、誰もそれに文句などないだろうが、そう言えば始めの頃はそんな計画もあったな、と高崎線はぼんやりと回想した。 お前の使命は繋ぐことだ。大宮から高崎まで、毎日何もなく繋げることだ。東海道本線に言われたのか、それとも国の人間に言われたのか、はたまた別の誰かなのか、今となっては記憶も曖昧だが、その使命だけはずっと忘れずに持っている。 上野から青森まで繋ぐ東北本線にも、東京から神戸まで繋ぐ東海道本線にも距離では到底及ばないが、距離が短かろうと長かろうと、やることはたったひとつだった。 だから碓氷峠を超えられなくなった在来線が、他の者の手を借りたとしてどんなに遠かろうと、自分ひとりの力ではかつて結んだ高崎から新潟までを繋げられなかろうと、明日明後日のやることなどわかりきっているのだ。 そして、そこを光のような速さで駆け抜けてくれる別の存在が誕生する。 ずっと背負い続けてきたものを、そろそろ下ろしても良いのだ、と、誰かに言われているようだ。東海道本線も、東北本線も、皆一様にそういう顔をしていた。それを次に背負わせる者は、高速鉄道という規格外の存在だった。 高崎線も、上越新幹線を見上げた日のことは忘れられない。 「選択肢が増えるのは良いことだと思うぞ」 「上官か、俺とバスか、上越経由かってか?上官一択だろ。むしろどうぞ上官使っていただいてお金を落として貰えれば光栄です」 口の減らない信越本線のグラスに、高崎線は日本酒を継ぎ足す。 「一度、東海道にせがんだことがあるんだ」 今度は高崎線のグラスに注ぎながら、信越本線が言った。突然の話題転換に、はあ、と中途半端な相槌が漏れてしまう。そういえば、と昼間の会話を思い返せば、何だかそんな話をしていたような気もした。 「多分、信越線になる直前くらいだったと思うけど。お前らを連れてきてほしいって言ってさ、じーさんが持ってた写真は、多分その時の。詰襟着てたけど、あれも夏の終わりだったはずなんだよなあ」 「…お前が頼んだのか。東海道は全然そんなこと言ってなかったけどな」 「俺の考えなんて、見透かしてたのかもしれないな。北陸は…、わかんないけど。あの時期はもう中山道幹線として期待されていたわけではなかったし。とは言えまだ直江津から先も俺のものだったから悲観してたわけでもないんだけど。北陸との距離を掴みかねてたところもあって、同じような大人になりきってないお前らに会いたかったんだ」 「…うわー、ちょっと待て、嫌な予感すんぞ。やめろ、一世紀越しの告白なんて要らねえからな!?」 「高崎を見ればさあ、ああ俺より不幸なやつもいるんだなーって思えるような気がした」 「やめろって言っただろ!?絶対そういう感じだと思った!」 時効だよ、と信越本線はいけしゃあしゃあと言う。 「東北の性格も大分出来上がってたけど、でもあいつはめちゃくちゃわかりやすくお前が一番だった。上野から大宮までを持って行かれたことにお前は不満だったみたいだけどさ、ああこいつはきっと、ある意味この先も東北にとってずっと一番なんだなと思ったら、結局俺が欲しかったような光景は見られなかったんだよな」 ずっと高崎線は東北本線の一部だった。それは時の政府が高崎線を東北の部へ組み込んだことから見ても一目瞭然である。何かと優遇される東北本線を羨ましいと僻んでいた時もある。言うなれば現在でも足の長い東北本線もとい宇都宮線が優先されることが多く、結局彼が北へ伸びる路線の中では大動脈なのだということはいい加減認めていた。文句はもちろんあるのだけれど。 路線としてだとか、そういう視点の話ではないのかもしれなかった。 人型を取って感情を持つ以上、割り切れない部分も存在する。それは自分が忘れずに持ち続けている鉄道の使命のことではなく、限りなく人に近いものだった。 まだ生ぬるい夜風に当たりながら、その頬を撫でていく温度は、高崎線がいつまでも持て余している感情に近いような気がした。お前のそれもこれなんじゃないのか、と信越本線に言いたいが、上手く表現できる自信がない。 「…信越はさ、結局、何になりたかったんだ。最初は中山道幹線で、それから本線で、未来で、俺からしたら十分それは叶えただろうに。…長野上官が開業することは、お前が続けてきたことの先にあるものだろ」 「うん、お前が言うとおり、そういうのはもういいんだよ。そりゃ今後もちょいちょい思い出したように出てくるんだろうけど、本線がどうとか、そういう。でもまあ、その辺はこれまでと同じで、いつの間にかどうにかなってると思うんだけど。…時代が変化している時は余計なことを考えなくて済むから良いじゃん、…まあ、この先北陸新幹線として延伸していくまではまだ大丈夫なのかもしれないけど、そこまでいった時に、もう鉄道としての存在意義とかそういうのにはいい加減慣れてきて、そうしたら残るものって、…高崎は何だと思う」 高崎線の読みは当たっていた。普段は効率が悪いだの察しが悪いだの言われ続けているが、長年の勘みたいなものはそれなりに自信がある。 沈黙が少し流れて、その間を埋めるかのようにバルコニーには風が吹き続けていた。アルコールと昼間の暑さで火照る身体には心地が良い。少しずつ思考がクリアになっていくような錯覚があるけれど、隣の信越本線は変わらずむすりとした表情だった。 本線という生き物は、どうしてこういつまで経っても難解な思考回路をしているのだろう。高崎線は、片割れや東海道本線を思い浮かべながらそう思った。 「俺らは人間じゃないし。けど人間と同じなんだとしたら、それってどうしようもなく捨てられなかったものだってことなんじゃねーの。ちゃんと鉄道としての役割は果たしてきたんだからさ、そこは素直に欲しがってみたら?」 「簡単に言うよなあ、そういうお前は、それじゃあ素直に欲してんのか?」 「んー、俺の場合は別にそこにあるからいちいち欲しがったりはしないけど」 「……」 「何だよ」 「…いや、東北がああなるのもわかる気がするな、と。そりゃ嫌がらせの伝言のひとつも寄こしたくなるよな、と」 「はあ?あ、ちなみに、お前が欲しいのって本線なの?上官なの?」 げほ、とわかりやすく動揺してむせた信越本線を指さして笑う。酒のせいだと思って吐いちゃえよ、と高崎線がつついてみると、信越本線は心底嫌そうな顔をした。 今更取り繕う必要もないだろうに、と思う。細かいところは高崎線も知らないが、恐らくはあまり変化のなかったであろう関係を変えるなら、長野新幹線―――もとい北陸新幹線が開業するこれから先がチャンスである。 「…長野上官があのままならそりゃ長野上官だけど、成長するだろどうせ!」 「あ、お前はぐらかしやがったな!」 「うっせーな事実だよ、別にあいつ自体が欲しいわけじゃない!」 ぎゃあぎゃあと騒いでいたら、隣の部屋の窓がガラガラと開く音がして、結局その話はここでお開きとなった。 部屋へ戻って飲み直した時には、どうでも良い話題ばかりで盛り上がって、気が付いたら二人揃って眠っていた。 二区を、東北を、―――宇都宮を。 欲しいと思ったことなどないことに、高崎線が気づいたのは、二日酔いで頭を抱えている信越本線を新潟方面の列車に押し込んだ後のことである。大宮から先を返せと思ったあの感情は、別に彼自身を欲していたわけではない。 それは多分、半身のような彼の存在が、自分を差し置いて他の誰かのものになるなどと考えたことが無いからだった。 長野と群馬の県境を超えるため、信越本線の急勾配を特急列車が下っていく。ここの区間が廃線になろうとも、これから先も走り続けるために、あの男がいつかはずっと持て余していたものに向き合えればいいな、と思いながら、高崎線は間もなく見られなくなる車窓をじっと眺めていた。 |
長いな!うちではW北信とうつたかとW上越は同時発生しています。 |