美味いもんでも奢れ、と東武東上線に仁王立ちで迫られた武蔵野線が、さすがに断れなかったのは、3日間にも渡り強風の影響で大幅な遅れと運休を出し、その間振替輸送で協力してもらいながら、東武の家に寝泊まりをするという散々な迷惑をかけたからだった。小言を言われたくないのが半分、東武の家ならば美味しい料理がついてくるからという理由が半分。どちらも東武勢からすれば迷惑な話だが、それを許してしまう程度には、随分と距離が近くなっているのであった。もちろん東上線だけではなく、越生線もついてきている。越生にはお世話になってなくない?と武蔵野線は不満を言ったが、「おめーが来ると寝場所が狭くなるし毎日布団出したりしまったりしてんのは越生」という追い打ちに、頷かざるを得なかった。
 近場で済ませようとしていた武蔵野線にダメ出しをしてきたのは埼京線だった。今回のことだけじゃなくていっつも迷惑かけてるんだからちょっと良いところに連れていきなよ!と店の名刺を渡され、最寄駅を確認すると、武蔵野線と埼京線が接続する武蔵浦和だった。少し電車に乗るんだけど、と武蔵野線がおずおずと切り出せば、あっさりとOKが出た。朝霞にも美味しい店はそれなりにあるが、どこも馴染みの店で、たまには気分を変えるのもありだと思ったらしい。あまり他路線に乗る機会のない越生線も、多少遠出が出来ると喜んでいた。

 珍しくほぼオンタイムで待ち合わせ場所の朝霞台駅前に武蔵野線が到着すると、当然東上線と越生線は既にいた。言い訳を考えた方が良いだろうか、と二の足を踏んでいる武蔵野線に、越生線がいち早く気づく。

「むさしの!おそい!」
「じ、時間通りじゃん!」
「…確かにな」

 越生線に続いて小言でも言おうとしたのか、口を開きかけていた東上線よりも早く反論した武蔵野線に、東上線は納得がいかないのか眉を顰めている。せっかく美味しいものを食べに行くというのに出だしからこれではよろしくない。

「じゃ〜ご案内いたします」
「ご案内いたしますってなんじゃそりゃ」

 和ませようと丁寧な口調にした武蔵野線の目論見通り、普段とは似ても似つかぬ口調に東上線が吹き出した。武蔵野線の意図を察しているのか、憐れみの目を向けてくる越生線は見なかったことにする。
 そういえばこの面子で外出するのは随分と久しぶりだった。仕事柄頻繁に顔を合わせてはいるが、大抵がどちらかの職場か、はたまた武蔵野線が勝手に押し掛けた東上線らの家であり、どこか外で会うことはあまりない。ましてや自分の路線に共に乗るのは初めてかもしれなかった。平日の午前中だからか、駅前はさほど混んでいない。JR北朝霞駅の自動改札をくぐろうとしたところで、あ!と東上線が声をあげた。

「なに?」
「PASMO忘れた」
「えっ、じゃあ切符買わないと」

 Suicaが導入されてから、切符を買うことなどほとんど無くなった。久しぶりに運賃表を見上げて目的地である武蔵浦和を探す。と、武蔵野線が見上げている間に、隣にいた東上線が切符を購入する音がした。自動音声が切符とお釣りの取り忘れがないよう注意喚起している。

「えっ!?」
「わ!何だよ、びっくりするだろ!」
「ごめん…、ってか俺行き先言ったっけ…?」
「…あ」

 武蔵野線を見上げる東上線は、ぽかんと口を開けた。何してんの、とあきれ顔で武蔵野線は切符を東上線から取り上げると、券売機の払い戻しボタンを押す。買ったばかりの切符が吸い込まれていった。

「…悪い、昔の癖っていうか、お前使う時は行く場所決まってるから…」
「へ?乗ることあんの?」
「あるよ、割と定期的に使わせて貰ってる」

 どこに行くの、と武蔵野線が尋ねようとしたところで、越生線が電車が間もなく到着することに気づいた。急げ!と急かされるままに切符を買い、それを東上線と越生線に渡す。ホームへの階段を駆け上がり、滑り込んできた電車に乗り込んだ頃には、疑問に思ったことなどすっかり忘れてしまっていた。



それを知らなくても優しい人

教えてくれてもいいじゃん



 それを武蔵野線が思い出したのは、それから数週間後のことだった。東上線に渡してほしいもんがある、と東武伊勢崎線に呼び出され、新越谷駅の駅ビルにあるコーヒーショップで向かい合っていた時のことだ。職場ではないのは、午後3時という誘惑の時間帯だったがために、武蔵野線が甘いものを欲していたからである。チョコチップをトッピングしたフラペチーノを啜り、武蔵野線はご機嫌である。

「本社で会議あったんだけど、あいつ書類忘れてったんだわ。悪いけど渡しといてもらえると助かる」

 俺よりも会うだろ?と伊勢崎線が差し出してきた分厚い茶封筒には、見覚えのある字で会議名が刻まれている。

「…本社ってどこだっけ」
「業平橋」
「え?」
「業平橋!浅草の方だよ!間もなくとうきょうスカイツリーになります!どうぞいらしてください!」
「何だよ、怒ることねーじゃん…」

 そうか、こいつは東武の本線だった、と武蔵野線は目の前の小さな男を見遣る。伊勢崎線にも振替輸送でお世話になること早何十年というところだが、東上線ほどプライベートなつきあいは無い。
 条件としては東上線とほぼ同じで、北朝霞も南越谷も東武線に接続しているベッドタウンで。どうして東上線とばかり付き合いが深くなったのだろう、と疑問だが、考えたところで今日中には答えが出そうにない。

「本社で会議って、定期的にあんの」
「そりゃあな。一応そうなると俺たちも招集かけられて、社の今後の方針とかキャンペーンとか共有すんだよ。JRだってあるだろ?」
「ある…。そっか会議か…、ねえ、ここから北朝霞っていくら?」
「…は?」

 話の飛び方が急で追いつかなかったのか、伊勢崎線から、一文字返ってきた。良いから教えてよ、と武蔵野線が繰り返し尋ねると、不思議そうに目を細めながらも運賃を答えてくれる。
 そっか、と腑に落ちた。
 あの時、東上線が購入した切符の金額と同じだった。
 定期的に利用する、とは、このことだったのだ。
 東上線と知り合ってから随分と経つが、知らなかった。そもそも自分の路線を定期的に利用していたとはまったくもって聞かされていなかったのである。お金を払って客として乗っているのだから、報告などいるわけでもなし、わざわざ言う必要などどこにもない。

「あ、あいつの家の机には絶対置くなよ。整理整頓がてら絶対どっかに仕舞うから。家に仕事は持ち帰らない主義なのは良いことだけど、うっかり持ち帰ると忘れるんだよ」
「…最近は整理整頓は越生の役割だから大丈夫だと思う!」
「…はあ?」

 面白くない、と思ってしまった気持ちはどうにも無視出来ず、武蔵野線は飲みかけのフラペチーノを掴むと、別れの挨拶もそこそこに伊勢崎線を置いて店内を後にした。

 自分にだってJRとしての顔がある。別に東上線に全てを話しているわけじゃない。ただ、あまりにも、するり、と武蔵野線の知らない要素が東上線の中に入り込んでいて、それがどうにも面白くなかった。
 絶対に家の机に置いてやる。そして忘れないように伝えてやるのだ。そうしたらきっと、東上線は少し照れたように笑いながら御礼でも言ってくれるだろう。
 そんなことを思いながら自動改札機にSuicaをタッチし、本当に今この瞬間だけは、切符を買わずに済んで良かった、とIC系交通カードを世の中に出した自分のところの社員に、心底感謝したのだった。



   


東武組の中での東上が気になるのである。


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