今年の雪はとにかく多い。

 新潟の雪はそれでなくとも水分を多量に含んで重い雪だというのに、例年以上に雪が降り積もった。連日降り止む気配もなくしんしんと降り続けば、交通網も麻痺するというものである。
 早々に終日運休が決まったのは上越線だった。バス代行だなんだとバタバタし始める周囲を、ご苦労なこって、と他人事のように見ていた信越本線もほどなくして運休となり、ついで越後線も運休になる。朝から特急の運休が決まっていた羽越本線も、あれよあれよという間に間引きされ、最終的に新潟県内を走る在来線はほとんど無くなってしまったほどだった。

「今日はダメだなこりゃ」

 除雪から一時休憩に戻った信越本線は、タオルで汗を拭う。キリないよな、とぼやいたのは羽越本線で、海沿いのために雪が積もることはあまりないはずだが、さすがに今日は彼も除雪に駆り出されている。

「上越、お前除雪行った?」

 部屋の中で一人汗をかいた様子もなく、資料に目を通している上越線を認め、信越本線が怪訝そうな顔をする。上越線は、ゆったりとした動きで顔を上げ、まさか、と首を竦めた。

「俺んとこは昨日から被害がひどかったから、保守用車ガンガン走ってて、人力での除雪はホームくらい」
「何それずっる!俺んとこも下の方は割とひどいんだけど!」
「仕方ないだろ。新幹線最優先で、多くの人手が越後湯沢にいたのもあるんじゃん?」
「上官遅れたんだっけ」
「始発切ったけど、2本目からはほぼ定時」

 在来線がこれだけ軒並みやられていても、東京まで走り抜けるのだから、さすがとしか言い様がない。新幹線停車駅に限り、上越線や信越本線の振替輸送も行っており、朝少しだけ見かけた新潟新幹線は、随分と慌ただしかった。

「まー、新幹線さえ動いてりゃどうにかなる、みたいなところあるしね」

 首に巻いたタオルを替えながら笑ったのは白新線だった。汗で濡れたシャツを着替え、また慌ただしく出て行く。行きたくないとぼやきつつも、この間にも雪は降り続いている。ため息をつきながら、一人、また一人と出て行った。暇なら上官でも手伝って来たら?最後に出て行った羽越本線の言葉に、上越線は返事は返さず、労いの意味を込めて片手をひらりと振った。

 一在来線である自分に、手伝えることなどほぼ無い。
 例えば遅れてきた新幹線の接続を取って発車するだとか、車両故障でも起こして走れなくなったら代わりに高崎まで客を運ぶだとか、そういうことならまだしも、天候不良で足止めを食っている自分に何かできるとも思えなかった。
 異常時の心構えやお客さま対応、早期復旧のポイントなんてものは、とうの昔に叩き込んであるし、今更出る幕もない。

 頼もしい、と思う。

 どうしたって天候に振り回される在来線とは違い、ある程度対策も打たれているし、それに応えている。
 苦労など何も知らないようなお坊ちゃまが、今や新潟の最重要路線としての役目を立派に果たしているのだから大したものだ。

「手伝えって言ったってな」

 上越線はぼんやりと自分の両の手を見た。





「はい皆お疲れ様でしたー!今日はガンガン飲んでやなことはさっさと忘れること!」

 声高らかに、かんぱーい!と会の開始を告げたのは、他ならぬ上越新幹線だった。三日三晩降り続いた雪は、ようやく落ち着きを見せてきて、今日の午後からどうにか定時に近い運行になった。さすがに疲労が色濃く出ていた各在来の路線たちが、定時で上がらせて貰えたのも、ひとえに上越新幹線が上に掛け合ったからだと言う。そうして定時で解放された部下を捕まえて、ぱーっと飲んで解散しよう、と言ったのも、どうせ宿舎に戻ったところで夕飯を作る元気もないだろう、と気遣ってのことである。そこまで気づいているのか定かではないが、「上官って意外と頼りになりますよねえ」と、甘ったれた声で信越本線が言えば、上越新幹線は不快そうに目を細め、「明日信越始発前の除雪、一人で3駅分やらせるから」とにこりとしながら言い返した。そんな無慈悲な!と騒ぐ信越本線を無視して、きょろり、と上越新幹線は会場を見渡すが、目的の人物は見当たらない。その仕草を見ていて、視線の先に求めるものを察したのだろう。信越本線は、抗議の声を止ませると、幾分か声のトーンを落とした。

「上越なら、遅れてきますよ。雪害状況今日中にまとめるみたいで」
「べっ、つに、先輩探してたわけじゃ、」
「迷子みたいな顔してよく言う」

 10人定員の畳部屋は、5人で座るには十分すぎるほどの広さだった。初っ端からエンジン全開で飛ばしていく白新線に、越後線と羽越本線が付き合っている。そこまで雪害がひどくなかったはずの白新線だが、どこもかしこも運休しているせいで、車両が回って来ず、運休を余儀なくされていた。「雪害って放送したってお客さん怪訝そうだしさあ!」「あー車両回ってこないやつ文句言われやすいよな」「そういう意味じゃ雪害はあんまり文句出ないね」と愚痴に付き合う2人も、今回の影響は大きかったようで、いつもよりハイペースで酒を煽っている。彼らから少し間を空けて眺めているのが、信越本線と上越新幹線だった。2人の会話は、他の3人には聞こえていないのだろう。上越新幹線は信越本線を一睨みしたが、結局言い返しはしなかった。

「まあ来られなかったら、部屋に行けばいいんじゃないですか?」
「先輩は忙しいんでしょ。なら行けるわけないじゃん」
「言い訳?」
「うるさいよ」

 酒の強い2人は、地酒を味わいながらも、まだ酔いは回っていない。

「ひとつだけ、教えてあげます」

 とくとく、上越新幹線のお猪口へ日本酒を注ぎながら信越本線が言った。説教はいらない、と上越新幹線が即座に跳ね除けようとするも、まるで聞く気がないようで、どこか愉しげに、信越本線は瞳を揺らした。「まあまあ、年長者の戯言だと思って」手酌をする様は、妙に大人びて見えた。普段はどちらかと言えばうるさくて落ち着きのない部下だと思っているけれど、こういう時に、一瞬で時が巻戻るような気持ちがする。候補生時代、新潟の本線として執務する姿をよく見ていたし、何より上越新幹線に甘くて優しかった。すっかり信越本線のそんな姿は見なくなったが、時たまこうして思い出すのだ。上越新幹線は、黙って目の前の男が注いだ日本酒に口づける。

「見つけた理由に自信が無くなったら、しんどいだけだから、忘れるか終わらせるかした方がいい」

 黒々とした信越本線の両の眼は、夜のビー玉のようだった。優しさも憐れみも読み取れず、上越新幹線はしばしその両目を見つめていた。

「見つけた理由って何」
「何でもいいんですよ。電話する理由でも文句言う理由でも、会いに行く理由でも、何でも。大人はずるいから、全部に理由をつけたがるし、保身も上手くなる」
「一応聞くけど、信越は、誰に会いに行こうとしたんだい」

 わかるような気もするが、敢えて聞いてみる。信越本線は、動揺もせず、少し口の端を上げただけだった。

「さあ、誰でしょうね、忘れました」
「…しんどいから?」
「それもありますね。そもそも、終わらせられるほど、俺は強くなかったし、子どもだったってのもある。何が言いたいかって言うと、言い訳は良い事ないよってこと、なあ?」
「何の話だよ」

 ゴトン、ばしゃり。上越新幹線が手にしていたお猪口がするりと指の間を抜けていき、木製のローテーブルに勢いよくぶつかった。美味しいと評判の純米酒が、無残にも机の上に広がっていく。

「あー!もう何してんだよ!食事中はぼーっとするなって前から言ってるだろ!ったく、ほら、おしぼり…、って聞いてんのか?」
「へっ、あ、うん、ごめん」

 呆れた顔でおしぼりを差し出してきたのは、上越線だった。いつの間にやってきたのか、上越新幹線はまったく気づかなかった。入口に背を向けていたこともあるが、信越本線との会話に引きずり込まれていたのだろう。既に信越本線本人は、上越線へと席を譲り、未だハイペースで飲み続ける白新線たちの元にいた。明日の除雪は絶対一人でやらせてやる、と心に誓うも、今は零してしまった日本酒の処理をしなければならない。もったいなー、自分で零しておきながら、思わずそう呟く。お前ほんと酒好きだな、そう言う上越線は、可笑しそうに肩を揺らしていた。
 ここ数日の雪害対応のせいか、上越線の表情には疲労が出ているが、どこか清々しくも見える。報告書を書き上げなければならない、と信越本線から聞いたが、全て終えてきたのだろうか。お疲れ様、と言いながら、信越本線が置いていったお猪口に日本酒を注いでいく。「上官も、お疲れ様でした」上越線が紡いだ言葉は、上司を労うものだった。
 先輩、といつまでもそう呼んでいるけれど、上越新幹線にとって上越線は部下である。ついつい甘えて昔に戻りたくなるけれど、上越線がタイミングを見て上司として立ててくるのは、きっと優しさからだった。

「一番被害ひどかったんじゃない?」
「あー、まあ、小出のあたりはどうしてもなあ。でも、運休本数とか影響人数は信越の方が上だろうし、俺のところは結構お前にも助けられたからな」
「それくらい、別に普通だし」
「そうだな、感謝してるし、尊敬してる」

 ありがとな、と照れもせずに上越線が言う。対する上越新幹線は、嬉しさと恥ずかしさを隠すように、うん、とだけ答え、日本酒を舐めるように少しずつ飲んでいる。

「雪はひどかったけど、機械除雪だったし、2日間丸々運休してた区間が多かったから、意外と暇してた時間もあったんだよな」
「そうなの?」
「そう。除雪にもそんなに駆り出されなかったから、羽越からせめてお前のことでも手伝って来いって言われたくらい。まあ、手伝えることもないし、別に行かなかったけど」

 ぴたり、と上越新幹線は動きを止める。

 見つけた理由に自信が無くなったら、と信越本線の声が脳内に響く。なんだっけ、しんどいから、どうすればいいって言ったのだったっけ。

 理由も無く会いに行けたのなんて、候補生時代くらいだった。開業すれば上官として振る舞わなければならなかったし、そういう自分が嫌いでもなかった。
 理由を作るのは簡単だった。大人になれば、屁理屈のひとつふたつくらい、いつだって用意出来たし、嘘を本当に変えるくらい朝飯前だ。

 美味しいお酒が手に入ったから。(買ってきた)
 ちょっと仕事で近くまで来たから。(予定を自分で入れた)
 越後からの頼まれごとがあったから。(自ら名乗り出た)
 疲れたから昔作ってくれた肉じゃがちょうだい!(会いたい!)

 電話する理由くらい、会う理由くらい、上越新幹線はいつだって用意出来る。理由がないと動けないなら、理由くらいすぐにこさえてみせる。

 それなのに、上越線は理由がないという。
 この人は、昔から、諦めることに長けている。息をするように、諦める。苦汁の選択なんかじゃないのだ、普通に、日常に、諦めていく。

「…あるじゃん、ほら、疲れてる僕に甘いもの持ってくるとかさ」
「もうそんなことしなくたって、帰って来れるし、行けるだろ」
「どう頑張っても新潟で昼ご飯食べられない僕に越後湯沢で肉じゃが差し入れるとかさ」
「お前んところは車販があるだろ」
「車販はあるけど先輩の肉じゃがは売ってくれないよ」

 一人で立てるようになったことは、上越新幹線にとっても誇りであり、育て上げてくれた上越線に感謝している。
 けれども、一人立ちしたからと言って、立場が逆転したからと言って、かつてあった師弟関係が消えてなくなるわけではなく、そしてそれは過去に置き去りにしたわけでもないということに、どうしてこの人は気づいてくれないのだろう、ともどかしい。

「先輩って、実は結構バカだよね」
「甘いものが欲しいだの肉じゃが食いたいだの言ってる奴にだけは言われたくないな」

 肉じゃが肉じゃが言ったり聞いたりしてたら本当に食べたくなってきた、上越新幹線は、そう言いながらメニュー表へ視線を這わせている。残念ながら、この店に肉じゃがはないようだった。

「あー!もう本当に食べたくなってきた!先輩明日持って来て!」
「どんな我がままだ」

 ガキじゃねーんだから、上越線はそう言いながら、テーブルの端でガンガン飲む白新線たちに声をかける。これ以上話すことは無いと言わんばかりの表情だが、少しばかり晴れやかに見えた。口ではああ言ったものの、きっと明日は上越新幹線の元へ肉じゃがが届けられるのだ。






会いに行く理由も、会いに来させる理由も、全部用意してあげるから。





 
 忘れないで欲しいし、終わらせないで欲しい。

 上越新幹線は、アルコールが回ってぼんやりとする頭で、しかし割りあいに本気で、そう思ったのだった。





W上越は可愛い。

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