鶸はもともとどこか他人を拒否するようなところがあった。

さすがに白緑さまには懐いているようだったけれど、それだって他に比べれば、という程度だ。
私は小さな小さな樹妖だ。
妖力だって体格だって鶸には決して勝てなかったけれど、樹妖だという、たったそれだけで、世間から見れば鶸よりも私が格上だった。鶸は私を、疎ましく思っていたかもしれない。それでも私にはどうしても鶸が必要だったし、鶸がいない世界なんて考えられなかった。

鶸のどこに惹かれたのかとか、そんなことを聞かれても私には答えることができない。敢えていうならば、世界を広げてくれたから、なのかもしれない。





鬱蒼と生い茂る巨大な樹木からハラハラと舞い落ちる落ち葉と、時折強風に煽られてポキリと折れてしまった枝とに年中覆い隠されているちっぽけな穴の中に私はいた。目が覚めた時からそこにいて、そこ以外の景色なんて見たこともなかったから、世界はそんなものなんだと思っていた。遠くで聞こえる様々な音は私には関係ない世界で響く音なんだと思っていた。

一体どれくらいそこにいたのかはわからない。もしかしたら一週間もいなかったのかもしれないし、百年そこにいたのかもしれない。



突然、光がやってきた。



それは今までみたいな申し訳程度に葉の隙間から入ってきたのとは違う。世界が一瞬真っ白になったように感じた。



「あんた、ここから出る気ないの」



ひどく、不機嫌そうに鶸は言った。側には、まだ小さな露草がいた。





何もわからない私に、鶸は「意思疎通できないと不便だから」と言って、知識をくれた。露草は鶸から学ぶのが嫌なようで、私が色々学んでいる間、どこか別の場所にいた。たぶん、白緑さまのところだ。

鶸に露草のことを尋ねると、随分と不機嫌になる。鶸は露草のことをあまり語らなかったけれど、いつも気にかけていることくらい見ていればわかった。たぶん、嫌いになりきれない自分が嫌で、そういう自分を他人に悟られるのを心底疎ましく思っている。一度、「露草のこと好きなんだね」と言ったら十日間口をきいてもらえなかった。





ここ最近の鶸はひどくつまらなさそうだった。

森を覆っていた雪が全部溶けて、そこかしこで春の気配が感じられる。白緑さまみたいに冬眠してしまう妖怪たちも多くいて、だから雪が溶けると森は賑やかになる。
鶸はあまり他の妖怪と仲が良くない。だからこの季節、冬眠から皆が目覚めてしまうことを好ましく思っていないことは明白で、でも最近あまり元気がないのは多分そのせいなんかじゃなかった。どこか寂しそうにしていた。珍しく露草を相手にしていたり、私にもいつも以上に構ってくれた。

鶸は優しかった。

見捨てたりなんて絶対しないし、冷たい印象を与えることだってあるけれど、たぶん根っこの部分がどうしようもなく優しい。そんな鶸が大好きだったし、そんな鶸で居てほしかった。





始めに目に入ったのは露草だった。

人型ではなかった。

私も本来はああいう姿だからすぐにわかる。けれど決定的に違ったのは、露草を染め上げているその赤と、露草を抱き抱えている、鶸。「露草、どうしたの、」なんだか上手く事態を飲み込めなくて、どうにかそれだけ搾り出す。時が止まったかと思うほど静かな夜だった。ゆらゆらと揺れる鶸の髪だけが、時間は止まっていないのだと言うことを私に教えてくれる。「弱ってるんだけど、樹妖は、どうすれば回復するの」鶸の声はいつも以上に抑揚がなくて、私は怖くなった。よく見れば異形だった彼の腕も完全に人と同じ形になっているし、何か他にも決定的に違っていた。まるで金縛りにあったみたいに動くことのできない私に鶸はもう一度いう、「露草が弱ってる。樹妖は、どうすれば回復するの」、機械みたいな言葉だった。

「どうって・・・・・いつもみたいに元の樹に帰れば回復するよ」
「それ以外。今あの樹は穢れててとてもじゃないけど露草を連れていくわけにはいかなくてね」

何があったのかなんてわからなかった。
露草は信じられないほど弱っていて、白緑さまの姿が見えなくて、鶸は何がが変わっていて。
いつもは鳴いている烏の声すら聞こえない。

「俺の妖力でも、平気なの?」

平気だけど鶸の方が妖力低いから、と言おうとして私は口を噤む。



鶸の方が、妖力が低い?



露草は樹妖、鶸は獣妖、露草の方が、妖力は強かった。それは間違いない事実で、鶸からしてみればそれは気に食わないことだったはずだ。白緑さまがいつもそのことをぼやいていた。あれは自分が弱いことをよくわかっていながら受け入れないから困る、と。それは私も思うことだった、鶸は、まだ一人で生きていくには些か弱すぎた。



だけど。



目の前にいる鶸は、とてもじゃないけれど妖力が弱いだなんて思えなくて。

大妖白緑さまくらい、

ううん、そういうレベルじゃない。



だ れ だ ?



「鶸・・・・・?」



そう私が呼ぶと、彼はとても悲しい目をした。悲しくて、懐かしい目をした。







きいん、と。
きいん、と私の耳に彼の声が響く。



「俺は、梵天だ」



何故だろう。
とにかくひどく悲しくて寂しくて。
私は泣いた。

鶸がいない。
鶸がいない。
鶸だけど、鶸じゃない。
たぶん、私にはどうしようもない。

私は泣いた。
梵天は泣かなかった。



何かを変えようと思って泣いた訳じゃなかった

ねえ、あたしはあなたにすこしでもなにかをあたえていたのかしら



   

尋ね人ステッキさまへ。
お題配布元 不眠症のラベンダーさま
090801 夜桜ココ


10年04月20日 再録

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