一枚のフェンスと曇り空
   




 はさ、と何故か中学3年間同じクラスだったがためにいつのまにやら親友になってしまった沙希は、青い水玉模様の入ったシャープペンシルをくるくると回しながら心底面倒くさそうに片方の眉をあげた。

はさ、つまり笠井くんをそこまで好きじゃなかったってことじゃないの」

 沙希のその遠慮も何もあったものではない発言に、隣の席で固まってファッション雑誌を見ていた優子たちのグループまでもが、なになに何の話?と割り込んでくる。女の子はどうしてこんなに恋愛話が好きなのか、私にはあまり理解ができない。別れたの?嬉しそうに聞いてきた優子に、「うっさいな別れてないよラブラブだよ」と返すと、不満そうな声をあげられた、失礼だと思う。

 気がつけば中学校生活最後の夏休みも終わっていて、まだまだ残暑の厳しい中、二学期が始まった。それでも皆の顔はどこか覇気があって、夏休みが充実したものだったことが窺える。ほとんどの生徒がエスカレーター式に高等部へ上がる武蔵森学園では、受験戦争なんていうものとは無縁に近い。それでもクラスに数人は外部受験する生徒がいて、彼らは最早別次元の住民となってしまっていた。本当は私もその数少ない外部受験組になるはずだったのだけれど、結局そのまま高等部へあがることになった。

「で、?なに、笠井くんと何かあったの?」

 優子が相変わらず興味津々という様子で、胸まであるさらさらの長い髪の毛を両手で梳きながら近づいてくる。私が応えるのが億劫で黙っていると、何か勘違いをしたらしい優子のグループの何人かが、彼女を引っ張って、やめなって、とか何とか言っている。ちらりと沙希を横目で見れば、呆れたような顔をしていた。

「何かあったわけじゃないよ、ただ、どうしようかなって思っただけ」
「どういうこと?」
「うん、なんでもない」
「うわ、そこまで言って言わないのかよ、言えし!」

 言いなさい、言わない、言いなさいってば!、言わないっつの!、しばらくそんな意味のない攻防を繰り返して、結局最後は優子が飽きてまたファッション雑誌へと向かってしまった。広げられた雑誌には可愛い女の子がきらきらした小物や流行の服を身に纏ってこれでもかってくらいに笑っている。沙希はそういうものには興味がない。少なくとも私の前ではそういうことになっている。今考えれば、本当に興味がない私に多少合わせてくれているところもあるのかもしれないけれど。
 頬杖をついて窓の外に目を向ける。どんよりと曇った空は、それでも雨が降りそうとまでは行かなくて、おそらく今日の部活もあるんだろうなと考えると少し憂鬱になった。
 ふと、視線を下ろすと錆びて変色したフェンスが視界に入る。





 私と、竹巳が出会ったのも、こんな風に中途半端に曇った日のことだった。ゴミ捨て当番だった私は、部活に遅れまいと、焼却炉から近道をして戻っていて、フェンスの前をほとんど全力に近い形で走っていた。そうしたら、突然少し後方でがしゃんとフェンスに何かが当たる音がして、振り返るとサッカーボールが向こう側に転がっていた。すみません、という声が聞こえてきて顔をあげ。



 フェンス越しに彼を見た。



 ワイシャツに制服のズボンを少し捲り上げるという格好で、体育の後とかこれから部活というよりも公園で遊んでいるみたいに軽やかだった。私が動けずにいると、彼は心配そうに近づいてきて、すみません驚かせてしまいましたよね、と小さく言った。いいえ、と私がなんとかそれだけ言うと、良かったと彼は笑って走っていった。

 それからまた数ヶ月が過ぎて、私は彼の名前と学年を知った。男子部のことならまかせなさいと豪語している友達に調べてもらったら、3日でそれらが割れたのだから、女の子の情報網は本当に恐ろしい。珍しいじゃんが男の子気にするなんてさ、と詮索されそうだったのを、ちょっとね、と適当にごまかしてお礼を言った。

 それから趣味とか部活とか、そういったことを自分で聞いたり調べたりして、彼を知った。離れたところから見守っていられればそれでいいとか、そんなことあるわけがなくて、男子部の知り合いを通してアドレスをゲットして少しずつ仲良くなって。
 そういった努力の結果、告白してみたらOKをもらえて。



 つまり要約すると、私は竹巳に惚れているということで。





「だからあたしが竹巳を実はあんまり好きじゃなかったとか、そういうのは在り得ないよ」
「いつも思うんだけどは自分の頭の中だけで過程を流してるよね、何がだからなのかさっぱりわかんないんだけど」
「それよく言われる。っていうかさ、沙希だってあたしがどれだけ竹巳と付き合うまでに努力したか知ってんじゃん、それから考えてもあたしが好きじゃないとかそういうの在り得ないと思うんだよね」
「うんまあそうだね、じゃあなんでそんなに苛立ってるの」

 苛立ってないよ、と私が呟いたのとほぼ同時に3限の始まりを告げるチャイムが鳴って、沙希はバタバタと自分の席へ戻っていった。既に教壇には若くて格好良いと評判の数学の先生が立っていて、お前ら小テスト始めるぞー、と言った。ブーイングの嵐の中配られたテスト用紙を引っくり返すと、1学期の終わりにやった二次関数の問題がずらりと並んでいる。私立だから進度とか文部科学省が定めたものとは無縁で進んでいくから、数学が苦手な私はいつもギリギリだ。竹巳や誠二くんがよく勉強を見てくれるのだけれど、あの二人はあんなに大変なサッカー部に所属しているのによくも勉強なんてやる時間があるな、と思う。



 竹巳はひどく優しい。



 いつも私を気遣ってくれて、部活だって委員会だって大変だろうに彼女への配慮を忘れない。「ほんと、には勿体無いよね」と何回沙希が言ったことか。

 けれど最近では優しいのか無関心なのか、その境界線が曖昧になりつつあるような気がして不安になる。あまりに自分の意見を言わないから、本当に竹巳がしたいことをしてくれているとは思えなくなってきた。それが友人たちから見れば、苛立っている、とか、凹んでいる、という風に見えるらしい。

 怖くてあまり込み入った話をすることもできなくて、「竹巳に立ち入ろうとはどうしても思えないんだよね」と、例によって色々な修飾語を抜いて沙希に相談したら、「笠井くんをそこまで好きじゃなかったってことじゃないの」と言われた、断じて違う。

 恋をして初めて自分は意外にも我が侭で、意外にも嫉妬深いことを知った。
 もしも武蔵森が男女別学ではなかったら、きっと私はもっと嫌な女になっていたに違いない。欲がないとよく言われるけれど、それも嘘だということを思い知らされた。



 全部欲しい。



 だけど言えない。



 それを竹巳のあの優しすぎる性格のせいにしている自分にもちゃんと気がついていて、付き合っているのが誠二くんだったら言えたのかな、なんて最低なことを思う。

 もう一度窓の外に視線を向けて、見慣れたフェンスと曇り空を捉えて、あれが無ければ会いにいけるのにとか、あれがあるから嫌な自分をあまり表に出さなくて済んでるんだとか、そんな色んな感情が渦巻いてきて。



 なんだか無性に泣きたくなった。






フェンスと言ったらこれしか思い浮かばなかった。
しかもキャラ出てないじゃん!

09年09月07日 夜桜ココ


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